夫と話し合って、とりあえず出生前診断は受けようという話になった。堕胎を視野に入れるなら法的に堕胎ができる週数が決まっているので、そこから逆算して出生前診断を受けられる週数もまた決まってしまい、そしてそのタイムリミットが近かったからだ。
だから、とりあえず受けておいてその後のことはその時また考えようという話になった。
出生前診断を受けるにあたって、遺伝子カウンセリングというものも受けた。
聞き取り調査で遺伝的なリスクを探し出すのと共に、出生前診断でわかることというのも説明してもらった。
まずはクアトロテストを受けることにしたが、かなり意外だったのが、偽陽性の率が高いということだった。具体的な数値ははっきりと覚えていないので医療関係者に確認して欲しいのだけれど、このテストは陰性であればこのテストでわかる一部の病気に関してはまず安心していい、という程度の意味合いの検査で、陽性になったから病気が確定するという類のものではないし、陰性であってもこのテストではわからない先天的な病気が現れる可能性がある。本当に病気を持っているのかどうかということは、羊水検査をしなければ確定はしないとのことなのだ。
それでもまずはクアトロテストを受けてみようという話になった。
クアトロテストは私の血液だけで受けられる、胎児にとっては安全なテストだ。
その結果が出るまでの間、夫と話し合った。
まず私の気持ちとして、何かあっても堕胎は絶対に嫌だ、ということを伝えた。私にとっては、子供に病気があったとしても堕胎する罪悪感と比べたら育てていくほうがずっと良いという気持ちがあった。
幸い夫はその考えにすぐに理解を示してくれた。
それはそれとして陽性が出た場合、次の確定診断である羊水検査に進むかどうかも相談した。だが、羊水検査は非常に低い確率ではあるが胎児に危険が伴う検査であることを考えると、何があっても産むという決心をした以上受ける意味を感じなかった。もしそれを受けることで胎児に何か起きたら、と考えると絶対に受けたくなかった。
これも夫と同意が取れ、では今回受けたクアトロテストは子供に何かあるかもしれないという心構えをするための検査だという位置付けにしよう、という話になった。
結果は、陽性だった。
だが、事前に取り決めた通りそれ以上の検査は望まなかった。
遺伝子カウンセリングをしてくれた医師の方に、子供が病気を持って生まれても良いように調べものを始めます、と伝えると、「この検査は本来そういう目的のための検査だった」という旨のことを言われたのが今でも印象に残っている。
それから妊娠を継続していく間、不思議なほど楽天的だった。病気を持って生まれた人たちのための団体が運営するウェブサイトなども見て回ったが、明るく過ごしているらしい様子を見て、多分大丈夫だろうと思ったりした。悲観的にも無闇に勇壮にもならなかったのは本当に不思議である。
そして結果が出てから約半年後、子供が生まれた。一目でわかる病気は持っていなかった。
この文章を書けているのは、結局子供に病気がなかったからだと思う。もちろん、私の場合はこうだった、ということ以上を語るものではない。
でも、もしクアトロテストではなくNIPTを受けていたとしたら?年齢的にNIPTは受けられなかったが、もっと高精度で偽陽性の率が低いのに陽性だと出ていたら?その時私はどう思っただろうか。
それは、今となってはわからない。
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