女性側の無自覚な受身投げっぱなしな姿勢も原因のひとつな気がする
役割への旧世代的な根強い意識は同性による偏見意識の問題として挙がるけど、問題意識があってアンテナはってるような今の若い子でも権利は勝ち取りに行くのじゃなく享受できるようになるまでただ待つものって無意識に言動に出てるの結構見るから
頭のどこか深いとこに世の中男性社会で男性に決定権があるから女性は前に出ないってそういう事を自ら認めてるとこがあるようなそんな感じ
どうせ女性じゃ何も出来ないんだから男性が全てやるべきでやってくれないなら現状維持しかないと思ってて愚痴や不満こぼして溜飲下げてるっていうか
要望だけ伝えて待って無理なら受け入れるしかない、不公平だって考え方
自分で男性優位に思考を傾けてるのに洗脳状態に近いのかすりこみなのかその自覚がない
自分の問題なんだから言動にはどんなものでもそこに責任はのるものなのに男性側がそれも負うのが当然て感覚
昔は男性側が責任負う代わりに女性は権利も男性側に預けて(奪われて)たけど
その状況から脱する事、変化を望んでるはずなのに自分の言動への責任感が薄い
大人なら女性側も選択して状況を判断して行動を起こすか起こさないかの決定権は皆持ってるしそこに責任も伴う
配偶者やパートナーへの意識格差への不満はよく聞くけど、それなら解消のために行動すべきなのに多くが要望を提出してそれが通らない事に怒り嘆いてるだけのように見える
それか夫婦は平等な立場なのに、となぜ相手が変わる事に自分が苦心しなければいけないのかと憤ってるか
望んでも変わらない自ら行動を起こしてくれない相手を自分が選んだ事、その関係を維持してる、または関係が破綻した場合とを天秤にかけて維持する事を選択しているその責任の存在を理解してない
子供や金銭面や人間関係や環境が行動を制限させる、出来ない、というのも聞くけどそれはされる、出来ないんじゃなく自分自身でメリットデメリットを考えて制限し、やらない事を選んでるに過ぎないから(暴力なんかの問題は当然別)
そういう意識が薄い
もし生活する上で権利と義務に対する価値観の違う人間と共にいる事を受け入れ一定の環境の維持を望むのだとするなら、平等な権利を主張できる状況で相手に変化を求める上で、不平等を訴え相手を変えさせ自分が理想とする環境を手に入れるためそれを口に出す事、そこへ向けて行動する事が必要になるのは当然で
昔から男性側は当たり前にやっていて、それは自分が言ってやらなきゃ分からない言えば思い通りになるだろう、というような蔑視的なとこからだから権利を平等にする自立した他者への視点とはまた違うんだけど
その高慢さのような"別の人間を変える事"に必要な一種の当然の労力の存在への理解が足りないように思う
環境が変わるのを自分を哀れんでただ待って、夫が言っても変わってくれない酷い夫だ男は酷いなんてただ言うだけなら、夫ったら酷いのよ、と鬱憤を隣の奥さんと愚痴って家ではそれはそういうものだから仕方ないの、って言ってなあなあに問題のある男性達を増長させて来た旧世代とかわらないし問題意識がある分余計に根が深いように見える
なぜ相手を正すのにこっちがいちいち、という憤りはまるで、言わなくても自分で理解して気を回して変わるものだ常識を考えろお前は何も知らんのか、なんてそれこそ上の高圧的な男性達よりもっと酷い旧世代の悪しき男性像のマインドそのものだし、そんな傲慢さはもう今はどんな人間関係にも必要ないし、平等さじゃなくそういう男性の立場を自分が求めてる人なのかなと思ってしまう
それともそういう傲慢な人間同士で平等に殴り合い罵り合いがしたいのか
家事育児参加(家事と同グループに育児を入れる事も参加って使い方も好きじゃないけど)の第一歩に簡単なものから教えて手伝って、やった仕事には感謝して、というようなのも、中には表現によって違うんじゃないそれはと思うものもあるけど自分がそういう相手を選んだという責任の下で大筋は極々普通の事で
自分が望まずかもしれないけど少なくとも一旦は受け入れた労働の不均等の是正のために負担を共通のものとし、と始める折にノウハウがある方がそれを伝える事、出来なければ手を貸して、労わり合い、負担を共有するなら相手が成した事は自分の負担の軽減でもあるのだから共に感謝を、なんて人として本当に当然の事に対して、なぜ謙らなければいけないのか、と憤り、立場が平等だからこそ必要な、男性側だけでなく多くに求められる相手への敬意を、甘やかす事だ、単なる隷属だというように捉えて何で自分がと嫌悪する姿はまるで近年顰蹙を買う居丈高な夫よりまだ旧時代的で
それが女性の平等な権利の主張、理想の立場だと思っているのだとしたら頭が痛くなる
そういう男性が今非難されるのは、人として当然の敬意を欠いた言動が時代による権利の優越性で許されていたのがそうじゃなくなって来たからで、男性だから、ではないのに女性から男性へ矢印が向けばそれは許されると思うのはどういう感覚なんだろうと思う
ものを望むなら行動を起こさなければいけないし、相手に変わる事を望むなら相応の行動が必要で、ただそこには人としての敬意でもって臨むべきで
権利のバランスを平等にとるために必要なのは男性がそうあったような人としての当然の敬意を女性にも勝ち取る事であって、女性の立場や女性自らのその意識が何も変わらないままで男性の権利を奪う事ではなく、また公平な権利であるとした時に問題になるような立場に女性だからと許される状況を作る事でもないし、そんな考えで権利の平等化に現実的に必要不可欠な男性側の意識改革なんてなせるわけないのに
それじゃただの悪政を敷く王の首の挿げ替えでしかないんだからそこに大義も平等を訴える正当性もない
女性が声をあげ行動に移すっていうのは男性に判断を仰ぐって意味でも、女性を虐げて来た男性そのままになり代わる事でも、行動しない責任を男性に押し付ける事でもない
色んなものを強いられて、奪われて、虐げられて来たんだからこそそうして来た男性が行動すべきだって声も聞くけど、男性が悪いのにどうして被害を受けて来た側が、男性が何もやってくれない、お前らが変われよと何もしないまま言ったところでそれまでそうやって生きてきた大人が変わるわけないし、その結果女性が何も得られず、それでそんな問題の象徴のような男性は何か困るのかって話で
本当に丸投げで変わるならどこの国のどの時代のどの女性もストもデモも権利を得るための暴言吐かれながらの運動も何も必要なかったはずで
女性が行動しなければ、行動してもまだ変わらない男性の傲慢さ理不尽さの話とそこから権利を得るために、守るために必要なものとその責任は別の話だから混同すべきではなく
そういう男性がそうなった事、旧世代の女性にしても個人個人にその責任は求めるべきではないし、暴言を吐いたり自分の事ひとつまともに出来ないのはその男性当人の責任で、そんな環境に望んでもいないのになってしまった、それ自体にも女性の責任はない
ただそれを維持し続けるという何かしらの選択を日々している今の自分への責任はある
どうせ何も変わらない、何で自分がと行動しないのも何を思うのも自由だけど最低限それは一人の人間の責任において状況を判断し、そうする事を選んだんだって意識は持つべきで
そうじゃなきゃそれは自分で自分が庇護される幼い子供のように一人の人間としてその行動に責任が生じない程度の存在だと認めてるようなもので
そういう責任の区別への意識と自身への責任意識の有無が女性の生きる上での権利や負担に影響してもいるように思うし
それは女性の自尊心が関わる話で、時代や過去の扱いも関係してるものだから、責任意識の薄さそれ自体への責任も無いんだけれど
無いんだけども日本における意識格差問題の一旦にはやっぱり思える
難しい
うんち
途中までしか読んでないけど 全ての責任は女性にあって世の中が悪いのは全部女性のせいで男性には関係ない、って態度がいかにも日本的だと思いました、まる。