あなたはその「恩師」への思いを、あるいは今でも心の何処かで主観として肯定したい部分があるかに見えるのですが、教える・教えられるという関係は、教えられる側の判断の自由を教える側に委ねることを前提としていて、教える側は教えられる側をある意味コントロールできるわけです。ですから、そのような関係に陥るのは、自分の一生を以て責任を取る覚悟なしには(教える側の方が)何をもっても避けるべきなのです。不貞で知られる科学者って結構いますけど、彼らは己の研究で偉大な成果をあげていて、教育においては枯れた後、もしくは死んだ後に名が知れているのでたまたまそのようになっているだけです。ですから、教える側として避ける努力をしなかった件の人物は無能な教育者に過ぎませんし、そんな人物を「恩師」などと呼ぶ必要もありません。ただの学生食い、もしくは広河隆一風パワハラ男、ってだけのことですよ。