すげーいまさらだけどフルパワーグリッドマンの合体シーンの元ネタ探しで盛り上がっていた界隈を見ていて思った。
知ってる人は知っているだろうけど、前近代の西洋美術は絵の中に登場するモチーフはだいたい元ネタがあった。
「この人物はギリシャ神話に登場する誰々」とか「この果物は聖書で言及されている○○の比喩」とか、まあそんな感じのね。
当時の知識人にとってはそういう元ネタを知っているのが教養であり、絵描きも元ネタを汲み取ってくれることを前提に描いていた。
んでロボットアニメの変形・合体シーンというのはまさに現代版のそれであって、「ここはグレートマイトガイン」「ここはガオガイガー」みたいな「元ネタありき」の芸術になっている。
それは単にロボットアニメの作り手も見る側も、ロボットアニメしか知らないだけ
全然面白くない。そこに哲学がないから。
ああいうのは先人の表現に染まりきった後人が自分の表現を作れず、安易な手抜きをやっているだけにすぎない。 宗教画のシンボルやアトリビュートとは全然違う。 https://anond.hatelabo.jp/...
でも元ネタのアニメもわかりにくいだけでコンテクストまみれやん