根本の原因は男女それぞれの中に階層があって男であっても女であっても生きづらさがピンキリの時代になったってことを古いフェミニストはわかってないんだよな。
そりゃ19世紀とか20世紀の中盤くらいまではわかりやすいくらい男女格差はあった。わかりやすく数字化したら貴族・王族をのぞいた男女の社会的生きやすさを男が100~50で中央値を70、女が60~10で中央値を30くらいにしとこう。そうすると男女全体でみても中央値をみても女は圧倒的に不利。女性の大半は下位の男性よりも生きずらい状態になってる。だからなんとかせなあかんねって意見でまとまりやすい。
ただ現在はもっと複雑だ。おそらく上にあげた数字が今は男は200~80で中央値が130、女は180~60で中央値が110くらいになってる。たぶん。中央値でみたらまだ女のほうが社会的に不利な場面が多いんだろうが、問題は昔とちがって男性の大半も社会的上位に位置する勝ち組女性に比べてかなり不利な位置になってしまった点だ。だからよほどの勝ち組の男性でないかぎり、「(自分より上位にいる女性だけを見て)いや女のほうが生きやすくね?」と思ってモヤモヤしてしまう。
さらに面倒なのが上位に位置する女性陣が社会の男女差別を訴える際、彼女らは「社会全体の問題」として訴えようとするが、実際には自分らと同じ上位社会に位置する男性としか比べてない点である。つまりエマ・ワトソンやセリーナ・ウィリアムズのような女性社会で上位3%(上での数字での175~180)に位置するような勝ち組女性が男女差別を訴えるとき、それは大抵の場合は男性社会の上位3%(190~200)としか比べてないのだが、さもそれが社会全体の問題のように訴える。そうなるとエマ・ワトソンやセリーナ・ウィリアムズより社会的に下位に属する大半の男性が「お前ら何を言っているんだ?」と不満をぶち上げてくる。
もう男と女の二極化で分けられるような時代ではないのだ。男女構わずに中央値以下にいる弱者がもっと生きやすいようにするのが正義なはずなのだが、悲しいことにメディアなどで積極的に声をあげられるのは社会的上位に位置する男女だけなのである。平均以下の庶民は匿名ブログで「日本死ね」みたいな煽りタイトルでも使わないと誰も見向きもしてくれない。
もうフェミニズムなんて名前は使わないほうがいい。フェミ運動で男性も恩恵を受けた点もあるが、やはり名前からして女性の権利向上にしか注目してないとしか見られない。(共産党が「主張は正しいからせめて名前かえろ」と批判されるのと一緒)男女ともに弱者が団結して声をあげるにはフェミニズムの旗はもう時代遅れなのだ。