当時は「外国からたくさんのお客様がおみえになるから街の美化・浄化を!」みたいな感じで、政府が旗を振ったらしいのよ。
ちょうどそのころに東京の街中から「たんつぼ」が消えたという話もきいたことがある。
で、それに反発してというか皮肉って、アート?パフォーマンス?みたいのしたのが、あの赤瀬川源平先生なわけ。
そうそう『新解さんの謎』を書いた人ね。1964年は先生も若い前衛芸術家だったから、なんかしたのよ。なんだっけ「直接行動」?
具体的になにしたんだっけ?なんだったかな。まあ後でググってよ。赤瀬川だけじゃなくてグループね。3人組。
「ハイレッドセンター」っていうんだけど……あ、知ってる? 3人の苗字からとってるんだよね。あと2人誰だっけ。わすれた。
といううすい会話を、インド料理屋でマサラセットを食べながら、浅い関係の友人としました。
外は暑いです。
新解さんとか老人力読んで、ただの面白いおじさんだと思ってたら経歴知ってビックリしたなあ。でも、前衛芸術ってのが結局行き詰まった結果面白おじさん(本当に面白いが)と化してし...