死んだお母さん。
正確に憶えてないけど、肺に水がたまっているから、胸の切開をしていいか?と。
助かるもんなら、お願いします、ということを言ったと思うけど、訳がわからなかった。
午前1時過ぎ、死んだ、と電話があった。たぶんお父さん。金曜の夜だった。
一番早く帰らなきゃと思いながら、お金もないから成田発のジェットスターの予約を取った。始発で成田に行った。
成田で、田舎の友達から電話掛かってきた、のか、自分から掛けたのかは憶えてない。これから帰る、と。
もう、家に帰るまではほとんど憶えていないけど、知ってる景色が見えてくると、だんだん父母の姿が目に浮かんできた。
最寄の駅からタクシーで家に帰って、家にあがったら、お母さんの顔に白い布が掛かった状態で、分厚い布団を被って仰向けに横たわってた。
その時は憶えている。お母さん、と言って、たぶん泣いた。
で、顔に掛かっている白い布を取った。いつもパーマを掛けていたお母さんの髪がストレートで、顔は少し白かったけど、ふっくら感は寝てるようにしか見えなかった。
たぶん、お母さんは死んだんだ。死に目に会えなかった。でも目の前にいる。
お母さん、聞こえる?帰ってきたよ。起きようよ。オイ、オイ!
お母さんと密着するのは、たぶん幼稚園くらいまでだった。
そのころの癖、お母さんの二の腕を摘んだ。
ほっぺを触り続けて、冷たいほっぺに何回もキスした。これまでお母さんにキスなんかしたことなかった。
いつのまにか寝てて、朝起きたら、お母さんが布団を被って寝てた。
一瞬死んだことを忘れてたから、意味が分からなかった。お母さんのほっぺを触ると、冷たかった。
今、2018年。これは2014年。もう4年も経つ。あのときのお母さんの顔と冷たさははっきり憶えている。
いまだにお母さんの夢はたまにみる。
今日はお母さんの命日。夢に出てきてくれるかな。