アルピニスト・野口健は、産経新聞の書評で2014年、次のように言った。
https://www.sankei.com/life/news/141018/lif1410180018-n2.html
10年ほど前の出来事だが、僕の元に一人の青年が訪ねてきた。「野口さん、エベレストを単独無酸素で登りたいのです」と。短い時間であったがピン!と感じるものがあった。これまでにも何人もの青年たちが僕に同じような事を伝えに来た。しかし、彼らの多くは僕に宣言した目標のごく一部を達成したところで満足してしまったのか、または就職活動といった現実に背を向ける勇気もなかったのか途中で放り投げてしまう者ばかり。だったら最初から僕に宣言などしなければ良かったのに。
https://www.sankei.com/life/news/141018/lif1410180018-n2.html
栗城氏も三度(みたび)エベレストに挑戦し、いまだに登頂は成し得ていない。前回のエベレストでは遭難し手の指を9本凍傷により切断。登頂できない彼に対し誹謗(ひぼう)中傷は酷(ひど)かった。「下山家」とも罵(ののし)られた。
僕は世の中の応援に対し時に「無責任だなぁ~」と感じる事もある。応援する側の多くは何となく応援している。そして結果がでないと時に梯子(はしご)を外したかのように批判に回る。そんな風潮の中、途中で夢を諦(あきら)めていく若者も多い。
しかし、栗城氏は指の大半を失いながらもエベレスト単独無酸素を諦めていない。今夏、彼は8千メートル峰であるブロードピークに無酸素単独挑戦し見事登頂を果たしたのだ。初めて彼と会った時に「この青年は違う」と感じていたのは間違いではなかった。来年、彼は再びエベレストに向かう。「弱者の勇気」、この彼のメッセージには生きる上でのヒントが多く込められている。
彼が亡くなった今、なにかを成し遂げずに途中で中途半端に放り出して、諦めることができること、ここにこそ、生きるヒントがあるように思う。
諦めずに続けるには、それが好きで好きでたまらないか、よほどの才能が必要だと気がついたのは最近のこと。
責任感が弱く根気がなくて、何事も続かなくて、業績もぱっとしない。やばいと思ったらすぐに逃げる。助けを求める。無理をしない。一人で頑張らない。