withnewsの原田記者、Buzzfeedの播磨谷記者の記事を読んで、つくづく「ネットメディアは作り手のオナニーで、希望も光も何もないんだなー」って思った。
原田記者のは、「新しいことをやりたい」「脱テンプレしたい」が差別の容認。
播磨谷記者のは、自分のオトモダチを擁護したいあまりの、被害者に対する不誠実な取材と、オトモダチ関連団体への肩入れ記事。
それぞれ、LGBTや性暴力と、注目を集めやすく、一見「政治的に正しく」「正義に溢れた」ように見えやすいトピックだ。
しかし、ここ数日で出された上記ふたりの記事は、単なる加害者擁護でしかなかった。原田記者のツイッターには「議論が進んだようでよかった!」「可哀想、説教臭い、啓蒙的な記事から脱したい」とあって、腰砕けになった。差別主義者は一見普通、お話出来てよかった、というしょうもないまとめで、そしてこれかよ、と。啓蒙活動をしていこう、というのは、その問題が解決されていない以上、当然の流れなのでは?あなたは、自社がこれまで取り組んできた差別問題の被害者でも、同じことをしたんですか?と問い詰めたい気持ちになった。
播磨谷記者のは……あれを是として出した編集長にも伺いたいのだが、metooというのは、被害者に寄り添うもので、加害者に寄り添うものではない。そうですよね?あなた達はその理屈ではあちゅう氏を持ち上げ、元電通の加害者を、それこそ社会的な死に至らしめたんですよね?それを、被害者には不誠実な対応をして、あの記事というのは、あまりにダブスタが過ぎるのではないのでしょうか?
LGBT当事者にとって、被害者にとって、そして読者に、あまりにもナメてかかってるな、としか思えない。謝罪もせず、SNSでは自身に賛同する人のリプライしか、見ていないのは、本当に誠実さのかけらもない。メディアで署名記事を出す重さというのは、ブログの一個人のそれより重いはずなのに、そこから逃げている。
Buzzfeedは、医療記事についてはファクトチェックの重要さとか、誠実さを出していたが、この記者については一体どういうことなのか。withnewsの朝日新聞なんて、リベラルが売りではなかったのか。
ネットメディアはオールドメディアより優れてる!みたいなのをアピールしていたけど(とくにBuzzfeed)、正直書き手のオナニーに付き合わされるのは断然こちらだなーという思いが強くなった。全然光じゃない。