その本質は「恐怖」なのではなかろうか。
あそこであのアナウンスをしなければ上司にドヤされるという考えがよぎった事、それが直接の理由だと私は考える。
相撲協会では常日頃から伝統が重んじられ、その文脈を味方につければあらゆる暴力や不条理が許されてきていた。
つまり、相撲協会にとっては伝統が絶対であり、本来であればその伝統を破ることは許されないはずだ。
伝統を重んじるという行為は、今現在そこに起きている現実を軽んじることに他ならない。
今そこで何が起きているかそれが現代のモラルや法律と照らし合わせて正しいか否か、そういった事柄を徹底的に軽んじた果てにあるものが伝統の重視である。
そして、相撲業界が生み出した伝統の中に息づいているのは「相撲は神事である」という宗教観だ。
これがまさに地獄を産んだのだ。
神や精霊という形而上学的故に理解の及ばぬ存在のご機嫌を伺うために、ありとあらゆる理不尽を受け入れることが宗教のあるべき姿なのだ。
相撲を奉納する相手たる神が何を望むのか、それを必死に考察(もうそう)した結果として産まれた女人禁制の掟。
故に、あの場でああいったアナウンスが流れたことは相撲としては「正しい」のだ。
それをトップの人間が「人の生死がかかっている状況では掟も絶対ではない」などと軽々しく言うことの方がおかしいぐらいのはずだ。
なぜなら、彼らは今まで散々相撲というカルト的な伝統の力を借りて好き放題を繰り返してきたのだ。
それを今になって引っ込めるのに言う言葉がそんなに軽くていいものだろうか?
今回の事件は決定的だ。
相撲という宗教が現代という社会の中でその神性を失った事の象徴だ。