「ただいまー」
しばらくして、弟が帰ってきた。
白々しい反応だが、俺はあえて話に乗る。
「ああ、“ドッペルから”な」
だが、予想外にも弟の顔色は曇らない。
取り繕っているようにも見えない。
どういうことだ。
「へえ~、店のチラシで見たけど、それ割といい値段するよ。ドッペルのやつ、奮発したんだなあ」
弟の言葉を聞いて、俺は衝撃が走った。
あわてて中身を調べる。
……ケーキだ。
つまり、これは元からドッペルが俺に渡すつもりだったということだ。
出てきた結果を見て、思わずよろめいた。
間違っているんじゃないかと何度も画面を見返す。
「ぐわっ……やられた」
完全に失念していた。
弟の思惑にばかり考えがいって、ドッペル自身の思惑をまるで考えていなかった。
ドッペルにだって、見返りをアテにする欲はあるに決まっているのに。
これの3倍のお返し……。
俺のバイトにかけた時間が、財布からお金が消えていく幻が見えた。
それから1ヶ月間、俺は気が気でなかった。
だが、ホワイトデーのことがチラついて、どんな味だったか覚えていない。
バイトをしているときも「いま働いている数時間分の給料が、ホワイトデーに費やされるんだな……」などと度々考えてしまう。
「なんやねん、マスダ。こっちまで伝染しそうやわ」
明らかに溜め息の数が多かった俺を見かねて、一緒に働いていたカン先輩が話しかけてきた。
「ホワイトデーのお返しが高くつきそうなんですよね……」
「なんや、マスダお前。貰える側やったんかい。いやあ、隅に置けんなあ」
「そんなんじゃないですよ」
「照れなくてもええって。そういうのに縁がなさそうに見えたんやが、ワイの恋愛相談に乗れる程度の経験はしてるってか」
先輩の言い方は、やや嫌味だ。
どうも先輩は、自分の恋愛がことごとく失敗しているのは、俺に相談をしたせいだと思っている節がある。
それが根も葉もないとまで言うつもりはないが、だからといって根に持たれるというのは逆恨みだ。
「ケーキだったんですよ。しかも結構な上物らしくて。それの3倍って考えると……」
「マスダも案外、不器用なところがあんなあ。なにも大真面目に3倍の値段のものを送る必要なんてないやろ」
「んん? どういうことです」
「3000円の料理が、1000円の料理の3倍ボリュームがあるわけでも、3倍美味いとも限らんやろ」
なるほど、先輩の言いたいことも分からなくはない。
だが、それは赤の他人がつけた価値に過ぎず、鵜呑みにする必要はないわけだ。
「ですが、それで俺はどうすれば」
先輩は得意気な顔で、胸をポンと大げさに叩いてみせる。
「“真心”や」
先輩の口から観念的な言葉が出てくるときというのは、大抵は詭弁だ。
だが、今回は大真面目に言っているらしい。
「マゴコロ?」
「ワシは最近アイドルのファンやっとるが、そこで気づいたことがある」
先輩、そんなことやってんのか。
どうやら、当分の間は恋人を作るつもりがないらしい。
「あの子らの活躍は『大好き』の具現化なんや。歌がめっちゃ上手いからやない。ごっつ美人やからやない。グッズがよう出来てるわけやない。一生懸命、真心がこもっているから、ワシらはそれに金を出そうと思えるんや。つまり、真心は金になる!」
俺は天啓を得たんだ。
しかし、上手く言語化できないが、何らかの“違和感”を覚えた。
そして、それを拭えないまま俺はホワイトデーを迎えることになる。
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≪ 前 俺はお返しの品を持って、ドッペル宅に赴いた。 自分の家にこもっていれば、お返しそのものをしなくてもいい可能性もある。 だが俺にとってホワイトデーとは、借金をした人...