昨日寝る前に、嫁とこんなことを話してた。
嫁「そうだね。あの時、お義理父さんが気まぐれで(長いので略)」
俺「うん。でも、それだけじゃなくて膣の濡れ方や子宮内のわずかなひだ、どっち向きで寝たか、でも変わるよね」
嫁「それもそうだし、射精をどこまで我慢するか、だけでも違った結果になったはずだよ」
この調子で書いてるとえらいことになるので、はしょるが、要約すると
一卵性双生児ですら、違う人間だということ。つまり、Aが体験することはBは体験しない。
例えば、昔、アメリカの実験で、双子のうちAは貧乏な家に、Bは金持ちの家に養子に出す、ということをやったらしいが、
満足な教育も受けられなかった貧乏なAからしたら「なぜ俺の方がBじゃなかったんだ!!」と思うだろう。
同じ遺伝子でもこれなんだから、精子が違えば、もうそれは完全に別の人間だ。
極端なことを言えば、物質に影響を与えないはずのニュートリノのような素粒子の振る舞いが、わずかにでも違えば人類の歴史は変わってしまう。
例えば、ニュートリノ発見のされ方が少しだけ変わって、発見した人の振る舞いがわずかに変わる(例えばコップを置く位置が少しずれて、それを助手がこぼしたせいで電車に遅れる)などしたせいで生まれなかった人が存在する可能性はありえる。
それでも大きな科学の発見や、大きな歴史の流れは、もしかしたらそんなに変わらないかもしれない。
でも、そこで生きている人間は、完全に別の人で埋め尽くされてる可能性がある。
(いや、タイムマシンなんてないのだから、そんな可能性はないんだけども)
つまりそんなわずかな違いで、この子は生まれなかった可能性があるのだ。
素粒子の振る舞いは確率的にしか確定しないのだから、何もなくても俺が存在しなかった可能性すらある。
(いや、可能性はないんだけども、なんと表現するのが正しいのか。。。)
でも、本当にそんな、天文学的どころかグラハム数を使わないと表現できないような確率で俺が存在しているのか?!
と改めて驚愕しているのだ。
どうにも納得ができない。俺がいないってことは、俺的には世の中は存在してないってことだからね。
本当にそうなのか?
などと考えると、かなり強めな無心論者の俺ですら、魂という言葉を使って、こう言いたくなる。
俺「いや、多少の遺伝子が違っても、やっぱりそれは別バージョンの俺だったんじゃないかな〜」
嫁「別バージョン?何それ?」
俺「う〜ん、つまり魂は俺で、器が違うだけ、というか」
俺「だから、親父も俺も同じようなもんだと思ってさ。。。」
嫁「それは無理」
これからどうしよう。
追記:書き忘れてた。魂という言葉を使わずに、うまく俺の言いたいことを表現できる人います?いたらトラバでもブコメでも良いので教えて下さい。
気持ち悪いから死んでほしい
自分の理解してない難しそうな言葉並べると頭良くなったように錯覚できるのは頭の悪い人の特権。
特権というか特徴というか。いずれにしても、わかる笑