2018-02-18

不公平主観であるということ

http://nyaaat.hatenablog.com/entry/2018/02/18

>>「落ち度」「不公平」というのは、叩く側がそう感じた、極めて主観的ものです。

不公平主観とはどういうことか、最近考えていたことをつらつらと書く。

私は電車通勤をしている。満員電車に毎朝乗っている。

電車座席は、横並び7人掛けだが若干せまい。

普通の成人男性が全く気を使わずに座ると必ず肩が触れ合い押し合うことになるサイズである

私は体が小さく、だいたい少しだけスペースを奪われることになる。

そして私は毎回「平等とは何か」を考えることになる。

私にしてみてみれば、「一人に与えられたスペースで一人で収まるべき」である

私の隣に座る体が大きい彼、彼女にしてみれば「同じ程度の窮屈さを感じるべき」である

どちらが正しいのかは分からない。

私の定年までに答えが出る気はしないが悩み続けることもやめられないと思う。

ただ、静かに隣の人物を呪うばかりである

最近は肉が溶け尻の穴から出る呪いをかけている。

平等とはなんだろうね。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん