2018-01-29

差別燃えないが「○は差別ではない」は燃える最近ネット社会

はあちゅうだって、ドヌーだってそうだったような。

ネットはもはや万人の万人に対する差別自然状態2.0であり、僕たちはとびかうネット言葉の上の侮蔑も慣れきってしまっている。

逆に、君も私もきっとつぶやくたびに誰かを誤爆して傷つけているのだろう、なんてのは当たり前に持っている感覚ではないだろうか。

人は生きてるだけで差別をするのだ、みたいな仏教めいた諦念。南無阿弥陀仏の代わりに「にゃあ」と唱え続けてインスタ界へ解脱するしかない。

そんな中で、私のやっていることは差別ではない、と言い出す人への反発が強くなっていないだろうか。

例えば僕は童貞であるが、童貞disなんて見かけても、まあ道のセミの死骸ぐらいの不愉快さもなく流していくだろう。

しかしながら、童貞dis差別ではないとかいわれてしまうとそこは別だ。

自分だけ差別者であることから逃れようとしたな、せめて人殺しの顔をしてもらおうと。

それこそ、アンチフェミ戦略なんて一貫して「お前らも差別しているだろう」である

「俺らは差別していない」なんて戦い方はあまりみない。

お前らも俺らと同じ畜生なんだ面を剥げ、と。

まあ、この世は地獄だよ

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