過去の文脈が忘れら去られるのと、着物が今現在生きているかどうかは、また別の話なのでは?
普段着やちょっとしたおめかし着としての文脈が失われても、また別な意味合いを持って生きているからこそ、こうして実際に目にするわけで
地方によって別方向に進化しているのも、時の止まった化石ではなく着物が生きているからこその現象だと思う
と書いたけど、よく読んだら元増田が惜しんでいるのは着物自体ではなく、着物文化だった
長く着物を愛してきた人にとって文脈が失われるのはとても悲しいことだというのは理解する
あまりに既知のものとかけ離れたら、それはいわば猫が進化して何か別の生き物になってしまったようなもので
猫が好きだった人にとっては猫が居なくなったという点で、死滅したのと同じかもしれないしね