2017-11-15

Boとの出会い

Boは両親の離婚後、弟と母親と一緒に暮らしていた。

Bo母親は、仕事から帰るとすぐに、ゲーム世界に逃げていた。そして、ある日、Bo母親は、ゲームで知り合った人と暮らすと言って、弟だけを連れて出て行ってしまった。

Boは、わたし再婚をして一緒に暮らしている父親のところにやってきた。

こうして、わたしBoは一緒に暮らすことになった。

こう書くと、まるでBo母親がとんでもない親に見える。

でも、実態は、かなり違う。

なぜなら、この頃のBoは、もうとっくに成人した社会人から。。。。。

わたしBoと初めて会ったのは、Bo小学生の時。一緒に暮らし始める10年以上昔のことだ。

Boは、わたしボランティアで手伝っていた子ども英会話教室にきていた。

とてもおとなしくて、おだやかで、優しい子だった。が、なぜか彼の席の隣に座ろうとする子がいなかった。

しばらく観察していると、理由が分かった。すぐ隣に座っている人がいるのに、大きく手を振り回したり、突然、椅子を大きく動かして立ち上がったり、と周囲にぶつかるのだ。

Boと同じ学校から来ている女の子に、学校の様子を聞いてみると、「Boは突然、殴ってくる。にらみつける。だから学校でもいじめられている。」とのことだった。

しばらくするとBo英会話教室に来なくなった。

気になって家に連絡をしてみた。

両親が離婚をして、母親と遠くに引っ越して行ったか教室はやめますとのことだった。

数年後、SNSBo父親を見つけた。Boの近況が気になって、連絡を取ってみた。

月1回程度、面会している。面会のたびに、一緒にゲームをして過ごしている。とてもゲームが上手で、強くて、元気だ、とのことだった。

ああ、じゃあ、英会話教室に来ていた時は、両親の離婚精神的に不安定だったのかな、杞憂だったのかな。

そう思った。

そんなこんなで、Bo父親交際を始めて、Boとも年に数回会うようになった。

会ってみて、すぐに、やっぱり何かがおかしいと感じた。

だけど、当時は遠慮もあって、Bo父親にははっきりと言えなかった。

その後、Boは進学や就職等の節目のたびに、いろいろとつまづき、わたしと夫がサポートをする、というようにかかわり続けた。

Bo高校生になったころには、わたしは、明らかにBoには何かの障害があると確信していた。

だけど、夫はわたし意見に一切耳を傾けなかった。

だけど、一緒に暮らし始めてしばらくして、夫も、Boは何かがおかしいと認めて、ようやく病院に連れていくことができた。

こうして、21歳のBoに、ようやく病名がついた。

ADD+軽度知能障害、俗にいう「発達障害」だ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん