刑法は応報であるが死刑が応報なのか、もっと相応しい刑があるのではないか
社会に生きる価値のない人は排除すべきで、それにコストが掛かるのはナンセンスだとは思う
被害者が殺し方を決めるのもありなのかなと思う。
死んで償う、という文化の国のようであるが、それは自らが死ぬという選択肢が行ったことを超える時にしか有効ではなかった選択肢であって死刑とは少し違う気がする
もしくは死刑を選択したくなるような犯罪が普遍的に存在する国だからなのか
としたら、死刑囚を作らないように、なぜその犯罪を犯したのかという本質を改善しないといけないだろう、害虫は排除すべきだが、害虫を作らない社会が必要なのだろう
それは小さいコミュニティなのだろうか、同じ価値観で生きるコミュニティなんだろうか
良い社会とはなんだろうか、儒教的に全員が生きる事であるならば、それは小さいコミュニティなのだろうか、そこから改善は生まれるのだろうか
弱者は寛容的に受け入れるべきだろう、だとしたら、犯罪を犯しているのは弱者ではないのか
社会的弱者、貧困に喘ぐ人が犯罪に手を染めてるのではないだろうか
応報ってのもよくわからない
1000万円が致命傷な人もいれば、どうでもいい人もいるだろう
それは納得
似た者夫婦は好きになれない、違いを受け入れて、違いを活用して、より良いものになる筈だから
どう見てもゴミな奴はいる、そいつらを隔離して勝手にやらせればいいのかな
そこからできる奴が出てくればこっちにくればいいし
それでいい気がする
学歴ではないだろう