2017-09-26

生きる目的無駄遣いに決めたら楽になった

40歳を過ぎた。


結婚はしているもの共働き非正規雇用(配偶者正規雇用)で、子供はいない。

世代は部下や子供を持って、責任ある立場に立って頑張っているのを感じるけれど、ふとした時に自分には何もないなーと思う。

仕事は好きだけれど、先の見えなさとか、非正規ならではの

責任無いだけに逆に責任がある感じに(このへんわかる人だけピンときてくれたら充分)押し潰されそう~ってなって、たまに投げ出して逃げたくなる。


そういう定期的落ち込みにうんざりしつつ、かといって正社員になるための努力も怠ってだらだら生きている。

大人として恥ずかしいと思いつつ、早死にしたいなーとか日々思っていて、中2かギャルかよ。しかし今更社会的立場も積み上げられそうにないし、

子供でもいたら何か変わるんだろうか、とここ数年悩んできた。

人生への枷として「この子のために死ねない」「孫の顔が見たい」という感覚があればもうちょっと真っ当に生きられるんじゃないかと。


しかし、正直昔から子供にあまり興味がない。可愛いの子かわいいと思うし、うるさい子はうるさい。血縁があってもなくても同様に見てしまう。

人1人育つのにかかるコスト、醜い容姿だった時にブサイクだと思わない自信がない、病気事故可能性、非行に走ったりサイコパス気質だったら…など、

自分の中では子供及び育児というプロジェクトは、リターンよりリスクばかり目につく。

なので、若いからやんわりと子供は欲しくないなと思ってきた。結婚するとき配偶者にそれは伝えて理解してもらっている。


というか配偶者自分オタクなので、理解というより趣味にある程度時間お金を使える生活を維持するには仕方ないよねー、という感じなんだと思う。

お互い比較的富裕な方の家庭に生まれ育って、浪人の上大学まで出してもらっているのでもし子供を持つなら同じようにするべきという思い込みもある。


と、まとめられるくらいには「子供を持たない」ことで後悔しないように整理しつつも「自分の子は違う」「生まれてみれば変わる」という主張に対しては反論材料がなく、

(あるとしたら「生まれたけど可愛くないよ」しかないと思うので)いつか後悔する日が来るんだろうか、という漠然とした不安けがあった。


しかし、拠り所の無さについて散々考えた結果、「“無駄遣い”することを人生の目的にすればいいのでは?」と思いついて、

悪くない考えではと思ったのでここに書いてみている


子供が欲しくても縁のない方もいるわけだし、生まれ人間が全員育つわけでもない。

虐待件数も(明るみになる分としては)年々増加していると聞くし、配偶者に何かあったら正直育てられる気がしない。

自分自身が親に「親の面倒なんて見なくていい」と育てられたので、多分子供にも求めない気がするし、

老後への投資としては、子育てってコスパ悪そうなので積立でもしたほうが良さそう。

とりあえず自分が生きている間なんとかなればいい、と思いきれると、政治とか環境問題もそんなに気にならないというメリット(?)もある。


それなら自分なりに働いて好きなものを買ったり外食したりして経済回していくことで社会と関わって生きるんでもいいんじゃないか?

好きな作品お金を使って、コンテンツを支えてるんだーって自己満足を感じつつ、

安めの老人ホームなり老人シェアハウスに入れるくらい貯金も心がけ、だらだら生きることに罪悪感を感じないようにしようと思う。



こういう人が増えると少子化待ったなしだし、多くの共感は得られない意見だと思うけど、もしかしたら同じような誰かが楽になってくれたら嬉しい。

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