学校に通ってた時から今までよく分からないんだけど、なんで嫌なことを仕事にするんだろう。好きなことで食っていくと公私が切り分けづらくなってしんどいというのは聞くけれど、仕事はつまらないもの、仕方なくやるもの、更に言えば誰の得にもならないけれども生きるために仕方なくやるものという観念は一体なんなんだろうと思う。
生きるために仕方なく作られた車を選んで買うか? 生きるために仕方なく作られた料理を選んで食うか? 収容所じゃあるまいし。この嫌儲思想の人生への拡張は負の効果しか生んでいないと思う。別に、社員が嫌な思いをすることが仕事を達成する必須要件じゃない。社員の内部がどうなっていようと、仮に会社を心底軽蔑して片手間でやっていようと、元締のアガリが悪くなければ関係ない。居酒屋バイトのように何も意味のないことを楽しいと思い込み続けることで苦しみを軽減するのもどうかと思うけど、何らかの苦しみを個人が得ることを価値判断の基準に置く日本型労働観は薄気味悪いし、悪い文明だと思う。
苦しみから逃れることを動機として作られた成果物はなべて質が低い。投資効果が低い。運転免許試験場の食堂の飯はその辺の安い食堂より高くてまずく、しかしかかっているコストは同じだ。競争がなく楽しみがないことが改善を抑止し、右から左へ価値をただ流せばよいところで、一旦破壊してから渡すように仕向けてしまっているんだ。元増田が苦しんでいるような労働の本質は個人への拷問であるという観念では、労働者の受けている苦痛は同程度だから、過程の正当性があり、したがってここには何の問題もないと判断してしまう。
賃金はビジネスによって作られた価値の分配であり、労働は行動と相互承認によって価値を作り出す行為だ。構造の維持作業ではないし、拷問でもない。そろそろこういう現代の仕事観を広めてもいいんじゃないか?
まず仕事をしている時間は確実に、仕事だ。 行き帰りの電車の中、持ち帰りの書類、休日に来たメールへの返信、全て、仕事だ。 ここまでは間違いない。 では食事や睡眠の時間はどう...
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同じ楽しさの遊びならば、多くの人がついでに仕事に役立つ方を選ぶだろう。 仕事に役に立つとしても、 全く楽しさのない遊びなどあるのか? 苦行な趣味を持っている人だ。
人生のすべては仕事である。 だから、仕事を楽しむべし。