2017-09-05

昨日、京成東中山駅で飛び込み自殺した子について思うこと

昨日は首都圏連続して飛び込み自殺が相次いだようで、船橋在住の私も三時間遅れの出社になった。その間、ぎゅうぎゅう詰めの代替輸送バスに揺られて、こっちが死にそうな思いをした。今日消化できなかった仕事については今週末、休日出勤せねばなるまい。

正直言って飛び込み自殺した人については憎悪しか感じなかった。

どれだけ多くの人に、迷惑という言葉では簡単に済ますことができないくらいの損害を与えたのか。

自殺テロと呼ぶべきだと思う。

ただ、一日たって、少し気持ちもなだらかになってみれば、思うところも出てくる。東中山の件では、自殺したのは高校一年生の男子学生だったとのこと。月曜日、発作的にやってしまったのかとも思ったけど、私服だったらしく、死ぬつもりで駅に行ったのかも知れない。彼がどういう状況だったのかはわからないのだけど、15歳、16歳の少年に死を選ばせてしまったことについては、社会の側も彼に対して責任を問われないと言うことは無いと思う。

あれだけの被害をこうむったのだから、私にもなぜこういう事態が発生したのか知る権利はあると思う。そして知ったうえで考えたり、改めて判断しなおす機会を得る権利があると思う。

でも、報道はない。

こういうことこそきちんと報道するべきなんじゃないだろうか。そこには個々の人生があったのだから

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