最初に断っておくが、この話にはオチはないし、見るべき教訓もない。
それでもただ書きたいだけだ。
今みたいにうつが一般的でもなければ理解がある時代じゃなかった頃の話だ。甘え病、怠け病として母ともども辛い目にあったと母に聞いた。
俺が物心つくまえに首をつって死んでしまったのは幸か不幸か、今となってはわからない。
もし実父を父として認識できる年になった後に自殺されていたら、多分俺は今以上に精神が不安定だったろう。
実父の父、俺から見れば父方の祖父も詳しくは知らないが両親の結婚時には亡くなってたそうだからやっぱりまともじゃなかったんだろう。
その実父の遺骨だが、実父の実家は受取を拒否し、母方の祖父の墓地の隅っこに小さな墓石と供に収めてある。
曰く「一家の恥さらしの遺骨などいらない」、だそうだ。時代を差し引いてもまともな家庭ではないだろう。
母方の祖父はお酒を飲むと人が変わる人だった。戦争をきっかけにお酒に溺れるようになったとも聞く。
祖母に対して暴力を振るうこともあったとか亡かったとか聞くが、俺が祖父になついていた為、あまりその手の話は聞かされなかった。
祖母がなくなってからは身体も弱って、ふらつきながらも酒と煙草を手放さなかった。
戦争がきっかけなのか、元がそうであるのかは分からないが、精神的に弱い人ではあったのだろう。
精神的な病とは無縁な継父の血を引いた妹もうつになり、母親は看病疲れから自分もうつになり、
最後はストレスからがんになって2年であっさり死んでしまった。
思うに両親をくっつけたのは、歪んが家庭にうまれた者同士の共感であり、モデルとする父親像、母親像を持たない故にいずれ結婚生活は破綻したと思っている。
そして継父の子である妹が精神を病んだことから見て、母親の育て方には子供を歪ませる要素があったのだろう。
精神的に脆弱な遺伝子を受け継ぎ、子供を歪ませる母親の強い影響を受けて育った俺は、
30前頃からうつにかかり5~6年かけてずるずると悪化し、ついに最後はまともな時間に起きて会社に務めることすら困難にクビになった。
そして病院や役所から労務不能の評価を受けることになり、生活保護を受けることとなった。
生活保護の経験談を見ると、両親が生活保護を受けている中で育ち、自立した子供の話がある。
勿論、美談になるくらいだから、それは限られた成功談であることはわかっているのだが、それでももしと思う。
実父が生活保護を受けてでも、世間から後ろ指をさされながらでも生きることを選んでくれていたのであれば、俺の生活は全く違っていただろうと。
継父は中卒で工場に勤め始め、そこで定年まで働き続けた人で、年功序列が長い分、稼ぎはいいが頭が悪い。言葉は悪いが本当に頭が悪い。頭は中卒のまんまだ。
例えば、ある程度の物事を知っている、あるいは調べられる人間なら連れ子とは言え
親子関係にある人間が「生活保護を受けその過程で自己破産」すると言えば、何らかの、通常ネガティブな反応を示すだろう。
中堅企業の役職クラスなら「この恥さらし」がの一言でもありそうなものだが、返ってきた反応は「ふーん、よく分からんけど」だった。
実の娘であるところの妹に対しても似たようなものだったので、そう言う人。
彼に自分が抱いている苦しみを理解してもらうのは不可能、そう不可能なのだ。
実父だって決して頭が良かったとは言えないだろう。
勉強はできたそうだが、「何を利用しても恥知らずと罵られても生き残る」ずる賢さがなかった。
だが、もしあの時、あの時代、今のようにセーフティネットの情報へのアクセスが容易であれば。
例え後ろ指をさされようと、公的に認められたセーフティネットを使い、卑怯だと罵られても生きていてくれたらな。
両親が離婚し、籍の上では父親でなくなっていたとしても、この苦しさを吐き出し、それに対して何かの助言をくれていたんだろうか。
寝れない頭でそんなことを延々と考えている。