2017-08-09

キモ金おじさんと努力関係

自動車免許の取得に例えてみよう。

「俺は貧乏自動車学校入学金すら払えない。これは格差、俺は被害者だ。」

「俺の家はクソ田舎自動車学校からめちゃくちゃ遠い。これも格差、俺は被害者だ。」

と、延々と呪詛並べててもいつまで経っても免許は取れん。何も行動してないからだ。

これが「俺は●●部落出身から自動車学校入学を断られた。」とかなら完全に差別だけど、そうじゃないよな?

最初に挙げた二つの課題自分の力で超克できる。どうしても免許を取りたいなら、どうにかしてこの課題を乗り越えるしかない。

土方で金貯めて合宿型の自動車学校行くも良し、学校わず私有地練習で一発合格目指すも良し、努力の仕方は人それぞれだ。

でも、努力のもの放棄して「俺より恵まれ金持ち・都会住み全員死ね!誰か、俺に免許を与えてくれやクソが!」と

大声でわめき散らしたところで見苦しいだけで、誰も同情してくれないと思うんだよな。できる範囲努力はしようぜ。

「俺は努力した!でもダメだったぞ!」って返しが来るだろうけど、それは大抵努力ベクトル絶望的に間違ってる。

今回の例えで言うならば「『3日で免許取得キット』っていう30万の情報商材買ったのに落ちたぞ!」みたいな。

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