「ファイアアント・ダンス(火蟻(ひあり)踊り)」
ヒアリは、アリ塚に足を踏み入れた敵に集団で取り付いて襲う。その際、手で払いのけると余計にアリを怒らせるので、
体を踊るように揺り動かして振り落とすのが「火蟻踊り」なのだ。
米国南東部では、親から子に伝えられているという。(東正剛ほか著『ヒアリの生物学』)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2017071302000115.html
個人的には連勝で盛り上がった事は少し意外だった。
と言うのも、AIが将棋のトッププロに勝ってから結構経っているからだ。
プロと戦い続けて何連勝という話を聞いていないから、連戦した場合どうなるか分からないが
将棋だけではない。
将棋より手数が多く、プロに勝つまでに時間がかかると言われた囲碁でもAIが世界トップに勝利を収めている。
競技が違うとはいえ、AIが進化していることは疑いようもない事実であり、
おそらく将棋ではもうほとんど人が勝てる領域に居ないんじゃないかと思う。
同じクラスの増田くんが気になってる。同じ係をやったり一緒に学校生活を過ごしたりしてるうちに。一過性のものなんだろうけど、最近夏休みだから教室で勉強してるといつも増田くんがいて心が躍る。ここに書いたのだって、わたしも増田になって増田疑似体験したかったから。ただそれだけだけど。
敵愾心を持ってる云々はエスカレートして言い過ぎてるだけだと思われるので
差別云々よりも、直ぐにヒートアップして暴言になってしまう人が良くない話になるんじゃ?
実際大して敵愾心持ってるわけでもないのに、いろいろ叩かれて怒ってるからそう取られても仕方ない失言が出てしまっただけでしょ、そういうんは。
追突と言ってもごく軽いもので、とっさのことでよくわかってはいなかったけど車の先端がかかとにぶつかったくらい。
痛くてびっくりして数分起き上がれなかったくらいだし、血はほとんどでなかったし、軽いすりむけができたくらい。ただ、10cmを超える大きい青あざができそう。
車道を歩いていたわけではもちろんない。駐車場の先、研究棟の裏口へ向かう小道を歩いていた時のことだった。
正直言って、車がそこまで侵入している状況ってみたことなかった。行き止まりだし。表玄関ならいざしらず裏口だし。
だから、後ろから車や自転車の類がくるとは想像していなかった。
こちらの過失。イヤホンで音楽をきいていたこと。ただし、同じ音量で音楽をながしたままコンビニで買い物をしてみたら全く聞きづらいようなことはなかったので、音量が非常識に大きいということはない、はず。
考え事をしながら歩いていたので、ぼーっとしていたのはあるかもしれない。
ただ、ぶつかってきた車の運転手がまったく申し訳なさそうなそぶりすらしなかったのがいまさら無性に腹が立つ。
私と車の進行方向は同じだったから、死角だったというようなこともない。うずくまってる私を横目に、バッグで後退していってさよならされてしまった。
多すぎるからこそ、その多すぎる多数派に当てはまらない少数派を「名誉男性」あつかいするひとが出てきてもおかしくないんじゃねとか
そういう話じゃないのか?
サイゼリヤなんて言っちゃ悪いが、所詮あまたあるチェーンの一つでしか無い。
そんなものにつれてくつれてかないで異常な敵愾心を持つ事自体よくわからんし
勢余ってサイゼリヤ自体へのヘイトみたいなのを振りかざし始めるとかまで言ってる一部の人を見ると、なんか嫌なことでもサイゼリヤであったのかと思う。
行きたいやつは行けばいい。行きたくないのに行かせようとするやつは叩けばいい。
行きたいのに行かせないやつも叩けばいい。ただそれだけのシンプルなことじゃないのか。
俺からすると「お前らこういうのかわいいんだろ?」っていうあざとさを感じるから嫌いだわ
そこに関しては正直シオカラーズもどうかと思ってる
「女性は全員~が好きに違いない。この意見に反論する輩は全員トンデモとみなす。」
とか吹き上がる人たまに出てくるけど、ふつうに考えてこういうのも一種の女性差別に当たらないの?
女性だからってこれが好きなはずだ、これが嫌いなはずだって勝手に決めつけて、
受け入れられないと怒るとか完全にアウトじゃないのか?よくわからんけど。
確かにどうでもよい、相手も言われてなんと答えたらよいやら・俺にかんけーねーよ、って話が殆ど。けど思い起こせば俺もそんな感じの話をしていることが多い。
つまりは他人に干渉されたくないし、しないよう配慮しているんだろうな。
口喧嘩は恥とされているし(ディベート勝負を人格優劣につなげる(まずディベート自体になっていないって??)、日本は行動・素行よりも「人格」やら「素質」やらにうるさいと思う)、まともに職場のある大都市は国内に数個だけで逃げ場所もないし、なぜか今だに多数派やら有名人やらの他人と一致していることが美徳とされる傾向にあるし、せめて思想の範囲は互いに放っておいてほしいもんな。。