「何かにのめりこんで熱くなれた経験」がサッカーの応援って、ヤバいくらいつまらない人生だな。
何か新規性の高いモノを作り上げる経験でもなく、意見を戦わせることでもなく、人前で話してウケまくることでもなく、誰かを愛することでもなく、物事の見方を徹夜で読みふけった一冊の本にひっくり返されることでもなく。
サッカー興行を観に行って騒ぐことが「何かにのめりこんで熱くなれた経験」なのか?
まあ達成感に満たされるにも努力と能力が必要で、そういう領域に達していない人がいるのも現実だよね。
そう思えば、サッカー興行って高揚感のナマポ、再分配として必要とされてるってことかな。
それはそれでかわいそうな人だ。
……どこまでいっても、サッカー観戦でしか高揚感を得られないなら、そんな興行を必要としない人よりもちょっと劣るのだけれど
(とワザワザ言うのはサッカーファンが自身がなんだか得意気に、優越感を振りまきながらサッカーファンアピールしているのを目にすることが多いからである)