2017-06-25

この数年は、死についてばかり考えているように思う。

人は死ぬ

祖父は死んだ。

祖母も死んだ。

両親もいつか死ぬ

大切だったあの人も将来死ぬ

毎日会っている同僚も死ぬ

同僚の旦那死ぬ

同僚のペット死ぬ

私とて、もしかしたらまだ見ぬ数十秒後には大地震でこの古い木造家屋の下敷きになるかもしれぬし、

あるいは突然の心臓発作で死ぬかもしれない。

車に轢かれるかもしれない。

死んだ先は、焼かれ、骨となり、いつかは土に戻る。

そんなことは死んだ本人には関係ない。

私はどうやって死ぬだろうか。

なんのために生きているのだろうか。

死ぬために生きているのだろうか。

生きるために食べるもの死ぬために食べているに等しく、そう考えるとどんな粗末な食事も、

どんなに上等な食事も全ては等しい。

そんなことを考えていると、味がしなくなってくる。

風景の色彩が見えなくなってくる。

感動がなくなってくる。

毎日淡々と無感動に過ぎていく。

目の前に起こる些細なドラマは白黒映画のようだ。

毎日の会話は字幕のようだ。

全ての物事は無価値である

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