若者が美しいのは当たり前のことで、そんなことは我々全員が知っている。
少年少女のアニメがあふれかえっている現状は、若者が美しいという自明の理を
わざわざ多くの作り手が証明し続けているようで、ひどく滑稽に見える。
この現状の中で気骨のある作り手がやるべきことは、若者を批判するアニメだったり、
中高年の美しさを描くアニメを作ることではないだろうか。
ヤマカン氏のアニメ業界批判は聞くに値するものだが、そんな氏の新作アニメが
数年ごとに歯医者にお世話になる。
引越しなどのの都合で毎回違う歯医者なのだが、どれも信用できない気がする。
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矯正で2~3ヶ月に一度通っていたが、2年目だか3年目くらいの検診で「虫歯っぽいかもしれませんね」と言われる。
これはまあ、矯正に行ったのに虫歯を見てもらおうと思っていた自分が甘かったかもしれない。
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次がその近所の歯医者。
なんかやたらキシリトールの舐めるお菓子を歯科衛生士が勧めてくる。
そのお菓子を食べる習慣が身に付く気が全くしなかったので話を濁していたら「なんでそこまで買おうとしないの?」と真顔で言われた。
猜疑心が若干高まり、もしかして歯石取りとかブラッシングって点数増やすためにやっているのではないかと思うようになった。
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根っこを切除してる歯が原因で、ぐらつかないようにするためにセメントみたいなもので他の歯に固定させようと言われる。
さも当然のように進めそうだったので「それって虫歯のリスク高まりません?だったら嫌なんですけど・・・」と聞いてみたらそうだと答えられた。
デメリットを話さずに進めていこうとするのは詐欺か押し売りか。いや言葉は悪いがしかし少なくとも誠実ではないだろう。
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先日数年ぶりに新しい歯医者へ検診に行く。
虫歯が2箇所、詰め物が1箇所欠けていると言われて治療を始める。
欠けた詰め物の部分を一度とってもらったら、その奥に虫歯があったらしくそのまま治療になる。
詰め物の奥に虫歯ができるのは、自分のせいではなく昔の治療が悪かったのではないかと思えてならない。
事前に伝えてくれていた計画が違っていた上に今後どういうふうに治療していくかも説明してくれず、結構不安だった、
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汚いじゃん。
ロリコンの解説するときに精神の話ばかりされるけどてんで的はずれ。
若くてツヤツヤの体が目当てなんだが。
そこを格好つけて誤魔化したりする必要なんてないと俺は思うね。
時代に合わせてババアと結婚するしかなくなっただけであって、本能は今でも綺麗な肌、ツヤツヤの髪を求めている。
説明されて「どういう意味?」って聞き返した時に全く同じ言葉を連ねる人嫌いです。
その言葉で意味が伝わらなかったので聞き返してるつもりなのですが、2回も同じ言葉を聞いても理解できません。
3回めでようやく別の言葉が聞けるので、今度から「その言葉の意味では理解できなかったので別の言葉で説明してもらってもいいですか」って聞くようにしたらいいですか
ちなみに2回同じ言葉をいう人は聞き返した時の2割ぐらいな気がします。
追記
「ちなみに2回同じ言葉をいう人は聞き返した時の2割ぐらいな気がします。」
これは、説明を受けた後、「どういう意味?」と聞き返した時に、全く同じ言葉を返す人は、自分が「どういう意味か」聞き返した時を100とした時、だいたい20ぐらい帰ってくるという意味でした。これで伝わらなかったらごめんなさい
両親のセックスを見た覚えがある。
確か小学校3、4年くらいのときに。家族みんなで川の字になって寝ていた。夜中に目が覚めてふと横を見たら父と母がそれらしきをしようとしていた。
当時はそれが何かわからず、母がちょっと困ったようにしているのを見ながら、まぁパパもママも仲が良いんだなと思っていた。
好きなことを仕事にして、それだけで食べていけてる人が小数なのはわかる。
でも、好きなことの要素が仕事に少しでもある人は、どれくらいいるんだろう。
仕事はただの義務で作業だとしても、プライベートでわずかでも好きなことをできている人は、どれくらいいるんだろう。
自分の好きなことをちゃんと理解していて、そのためにちゃんと行動もできている人は、どれくらいいるんだろう。
「よかった」にはいろいろな意味がある。
ツイッターで流行った「#東北でよかった」の「よかった」は、純粋な「喜ばしい」の意味だろう。
これらの文では、交通事故にあったこと、空き巣に入られたことを喜ばしいと言っているのではない。
さらに言えば、寝たきり状態や死亡に至らなかったこと、盗人と鉢合わせて怪我をしなかったことは、純粋な「喜ばしい」ではない。
不幸中の幸いだと言っているにすぎない。
そもそもそんな事は起こってほしくはなかった。しかし、最悪の事態よりは被害は少なかった。
そういう意味だということは、声をかけられた方も分かるはず。
社会資本等のですね、毀損もですね、ま、いろんな勘定の仕方がございますが、25兆円という数字もあります。これは、まだ東北で、ですね、あっちの方だったからよかったんだけど、これがもっと首都圏に近かったりすると、もう莫大な、甚大な額な被害があったというふうに思っております。
ここでの「よかった」は、純粋な「喜ばしい」ではない。
東北で地震が起きたことを喜ばしい、とは言っていない。
自分たちには大した被害がなかったから喜ばしい、とも言っていない。
被害金額の比較として用いている。日本全体として見れば不幸中の幸いだと言っている。
その日本全体という視点、被災地に寄り添っていない視点が問題なのだが、それは後で述べる。
ここで言いたいのは、ブコメでもメディアの見出しでも「よかった」を「喜ばしい」という意味で解釈していたり、そう受け取られる見出しにしている場合が多い、ということ。
単なる「東北でよかった」では「喜ばしい」の意味で発言したと誤解されてしまう。
いくら字数制限があっても、「まだ東北でよかった」とするべきではないか。
先に挙げた「#東北でよかった」のハッシュタグも、それ自体は面白い取り組みだが、あの発言での「よかった」の意味を誤解させるという点で少し心配だ。
東京直撃に比べれば被害は少なかったと言える。それは事実だ。
ではあの発言は問題ないのか?そうは思わない。
先述のように、不幸中の幸いなのは日本全体として見た場合であって、被災者にとっては何の慰めにもならない。
たとえば、夫・妻・息子の3人家族でドライブ中に交通事故にあい、息子だけが骨折で入院したとする。
息子を心配する夫妻へかける慰めの言葉として、「一家の大黒柱である夫が怪我をしなかっただけ、まだよかった」は不適当だ。
夫妻が意気消沈して日常生活もできないほどなら叱咤激励としてありだが、普通は「うちの息子のことはどうでもいいのか?」とカチンとくるのではないか。
ましてや夫がそう発言したとしたら、夫婦喧嘩になって息子も心に傷を負うだろう。
先述の「交通事故にあったそうだが、骨折による入院だけで済んでまだよかったね」のように、個人の枠内で収まる不幸中の幸いを当人に対して言うならば「よかった」を使っても誤解は起こりにくいが、「被害者当人にとっては慰めようもない不幸だが、集団全体として見ると不幸中の幸いと言える」という状況の場合、「よかった」や「幸い」は被害者の疎外感を生む。
使っていいのは被害者本人だけだろう。
「僕は骨折しちゃったけど、お父さんが無事でまだよかったよ」と。
このたとえ話の夫の立場は、今回では首都圏の人々、もしくは中央の政治家。
その中央の政治家の、よりにもよって復興相の発言なのだから重大だ。
それでも、まだ辞任するほどではないと思う。
「まだよかった」と言っているのは人的被害に対してではなく、金額に対してだ。
本来なら、「東北でもあれほどの被害額に上ったが、これが首都圏だったなら...」と言うべきだったが、ついつい、話し言葉として使い慣れている「まだよかった」が口をついて出た。
そういう釈明で収まると思う。
しかし、「あっちの方」という言葉が致命的だ。
復興相なのに被災地に軸足を置いていない。完全に他人事。対岸の火事だ。
これでは言い逃れはできないし、させてはならない。
実際の辞任の経緯は知らないが、私が「これは辞任すべきだ」と判断した決め手はこの言葉だ。
同じ指摘をしているブコメもいくつかあるが、少ないなあと感じる。
どう転んでも辞任は当然なのだから、「まだ東北でよかった」を「東北でよかった」と誤解させるほど文字を切り詰める必要はなかったと思う。
将来、親自民派が「これだからマスコミは信用できない」と吹聴する隙とならないか心配だ。
このはがゆさと違和感を整理しておきたくて文章にしたら長文になった。失礼しました。
新しい記事を見かけると颯爽と現れてしょうもないコメント+クソザコナメクジと書き残して去っていくクソザコナメクジ君。
3月は比較的おとなしかったが4月になってから元気になったのは温かくなってきたからか?
そもそもこいつの目的は何だ?ネットで憂さ晴らし?本気で「クソザコナメクジ」を流行らそうとしている?
スーパーの酒コーナーで老人と孫らしき二人に狭い通路をふさがれた。
仕方なく後ろで待ってると老人がパックになってる発泡酒から一本だけ抜き取った。
孫は私をチラチラ見ながら「それはだめだよ!」と必死の抵抗。
じじい「うるさい!俺はいつもこうしてるんだ!」黙る孫。
こういう老人は何のために年とってるの?
久しぶりに映画館で映画を観たので映画館のダメな所を書いていく。関係者は是非とも新規顧客GETに役立ててほしい。
映画は大抵二時間という長い時間を椅子に座して鑑賞する。それなのに十分にくつろげない狭いスペースで座り心地の悪い椅子ってどうなの?
ふとした瞬間にナイスアイディアが思い浮かんでしまい映画から集中が途切れてしまう、よくあることだ。
そんな時に重要な会話シーンだったりしたら、巻き戻して観られないのが辛い。
しかし映画館で山盛りのシュークリームを食しながらの鑑賞は不可能である。
上部だけでもテーブルを設けて飲食可のスペースを作ってはどうだろうか?(当然別料金¥500は払う)
そうすれば心置きなく蟹を剥きながらの映画鑑賞ができるではないか。
自宅なら全裸でも逮捕されない。しかし外の世界では勝手が違うらしい。
Artだと言い張れば逮捕されない可能性も無きにしも非ずだが、押しに弱い自分には到底無理な話だ。
たまたま自分独りだけの貸し切り状態なら問題ないのだろうが、そんなラッキータイムはそうそう訪れない。
服を着たまま観るなんてナンセンスではないだろうか?
純日本人なんだけど地毛がかなり明るくて、高校でも染髪の指導が入らないように親から「地毛です」みたいな書類を提出させられた。それはまあこっちを配慮しての措置だったんだろうし、結構ありがたかった。
そんで今日バイトの面接に行ったんだけど、「髪の明るさが5レベル以下じゃないと雇えない」とか言われたわけ。5!!??黒っ!!?地毛なのに駄目なの?意味不明じゃない?
染髪した髪はチャラチャラして見えるとかは百歩譲ってわかるけどむしろ黒くするために染髪しなきゃいけなくなるんですけど……なんだそれ……。
黒髪のほうが清潔感あるとかいう意味不明な常識死んでくれ~茶髪はヤンキーだと思ってるジジババもこの際死んでくれ~
追記
ちなみに「純日本人」って冒頭にわざわざ書いたのは外国人の血が由来で髪が明るい人とは差別の質(?)が違うと思ったからだよ。
ハーフの人とかが髪の色でとやかく言われるのは多分明らかに人種差別とされるでしょ。「純モンゴロイド」とか書いたほうがよかった?