けもフレが終わってから、胸に穴が開いたような感覚のまま毎日を生きている。
仕事なりなんなりに集中していればその間だけは忘れられるが、ふと我に返ったとたん、とてつもない喪失感にさいなまれる。手持無沙汰になったとき、何も手につかない。春アニメも録画だけはしているが、まったく見る気がおきない。どうしようもなく、あの優しい世界、あの楽しかった時間を、心の中で、何度も何度も反芻してしまう。それなりにアニメを見てきたが、放送終了後にこれほどまでのダメージを受けたのは初めてだ。
ニコ動は数年間まったく見ていなかったが、けもフレをきっかけにアカウントを再取得した。少なからず新しい文化が生まれていて、最初は少しとまどったが、すぐに慣れた。他のフレンズたちとする実況は楽しかった。夢のような日々だった。けもフレ終了後はエア実況をする覚悟をしていた。12.1話が来たときは状況を理解できずに脳内が「???」で埋め尽くされたが、すぐに歓喜に変わった。これから先もやっていけると思った。けもフレロスなんてありえないと思っていた。
しかし徐々に「けもフレはもう終わってしまったんだ」という事実を心が認識するにつれ、喪失感が大きくなっていった。本編をリピート再生するだけでは耐えられなくなり、ニコ動でMADをあさる日々が続いた。MMDモデル製作者たちには感謝しかない。「極楽浄土」という名曲の存在も知った。自分がいない間にもニコ動ではたくさんのコンテンツ、たくさんの文化が生まれていたのだと知った。MADを大量に見たあとに本編を再生すると、また新鮮な気分で見ることができた。新しい発見もたくさんあった。でも12話を見終えると、「この先はもうないんだ」という事実に耐えられなくなり、MADをあさる日々に戻った。
ジャパリパークへ行きたい、と思う。モブでいいから僕もフレンズのひとりになって、サーバルちゃんたちとドッタンバッタン大騒ぎな毎日を送りたいと思う。あのグレートジャーニー、すばらしき旅路を、僕もたどってみたい、一夜だけの夢でいいから、あの優しい世界に行きたい、そう願って眠りについても、見るのは決まって、ろくでもない夢だ。そして目覚めれば、また平凡で退屈な毎日が始まる。その繰り返し。繰り返し。
けもフレロスを緩和するため、ニコ動が運営するマストドンのインスタンスに入り浸るようになった。どこの誰とも知らない人たちととりとめのない話をしていると、多少は気分がやわらいだ。でもやっぱり喪失感は消えることなく、胸の穴はいつまでもぽっかりと開いたままだった。
今日の昼のこと。今月に入ってから職場が新宿に移った僕は、まだ少し慣れない街をふらふらとさまよい、居酒屋でランチを食べた。うまそうだったので写真を撮って「いただきマストドン」というお約束とともにトゥートしたが、誰からも反応はなかった。ランチはなかなかうまかった。店を出る前に「明日も新宿西口のおいしいランチを開拓するよ。たーのしー!」とトゥートしたが、これも誰からも反応はなかった。
職場のビルへ帰る道すがら、さっきの自分のトゥートを思い返してみた。「たーのしー!」だって? ひとりで飯を食って? 誰からの反応もないトゥートをして? いや、その前に、僕は食に対してそれほど興味がなかったはずだ。食事なんてエネルギーを摂取するだけのもの。食べなきゃいけないから食べる。それだけだったのに、「おいしいランチを開拓する」だって?
その瞬間、理解した。そうだ、これなんだ。けものフレンズが僕にくれたものは、喪失感なんかじゃない。そんなものじゃない。彼らが僕らにくれたのは、なんでもない日常の中にある「たのしー!」や「うれしー!」や「すごーい!」を見つけ出す、とてもシンプルで、とても大切な視点なんだ。綺麗なものを見て「きれー!」と最後に思ったのはいつだっただろうか。おいしいものを食べて「おいしー!」と最後に思ったのはいつだったろうか。あなたは思い出せますか? 心の底から「たのしー!」と思えたなら、きっとどこにいたって、そこはジャパリパークなんだ。
毎日のようにイベント情報とか増えてるのに 声優に興味無い奴か
声優に興味ない方が異常みたいな言い方やめとけ
え?ないの? あるほうが異常だよ
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