2017-03-30

山で死ぬ

山を登る人間は、すべからく山で死ぬ覚悟を決めているべきである

素人であろうと関係ない。

ベテランであろうと、世界最高レベルアルピニストであろうと、死ぬとき死ぬ。それが山、特に雪山である

山で死のリスクゼロにすることは誰にもできない。これは厳然たる事実である

から、私のような門外漢が言うまでもなく、山で死んだ人間100人100人とも、山に入った時点で死んでも構わないという覚悟を決めていたはずだ。

無論、可能性の話をするならば、死ぬ覚悟もせずに山に入った愚か者存在し得る。

しかし、そんな可能性に思いを巡らせて勝手被害者を憐れむのは、むしろ侮辱であるとわきまえるべきだ。余計なお世話、余計な忖度だ。

回避不能な死のリスクを、他人に負わせることは道義に悖る。自分の命の責任を、自分以外の人間押し付けていいのは半人前の子供だけだ。

故人を根拠もなく半人前と嘲る権利は誰にもない。

から死を見届けた人間は「被害者覚悟を決めて山に入ったのだ」と推定しなければならないのだ。

反証存在しない限りにおいて「山で死んだことは、本人にとって了承の上の出来事だった」と仮定すべきなのだ

山で死んだ人間の死の原因を本人以外の人間に求める者は、自らが故人の尊厳を貶めているのだということに深く思い巡らすべきだと私は思う。

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    • おもしろそう

    • 自分が死ぬなんて思っていなかった。 もちろん、可能性としては十分に意識していた。 ここで落ちたら死ぬなとか、ここでこういうことが起こったら確実にやばいなとか、そういうこと...

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