元増田だけの意見を聞いてもなんとも言えなくて、元増田を責めるつもりも、褒めるつもりもまったくなく、
自分の感想や自分の気持ちを書いてしまって申し訳ないんだけど、
自分の書いたプログラムを自分だけのものにする? バカなこと言わないでください。そのプログラムのおかげで劇的に実質コストを減らし、会社に貢献してます。
このあたりの理屈がやっぱりしっくりこない。
なんていうか、業務をこなして会社に貢献するか否かを自己裁量で判断することに意義を感じられない。
極論、目の前の書類にハンコを押せというだけの仕事を、ハンコ押しマシーンを開発して高速化したとしても、僕としては、それは自分の中の評価の対象にできない。
(なんども繰り返しになるけど、僕と元増田が同じ考えでなければならない、なんて思ってないからね、もし僕が元増田の立場だったら? を想像してるだけだからね)
こうして言語化してみてわかったけど、
自分にとって「仕事の結果」なんて、至極どうでもいいのだと思う。
なにかの書類を作る、なにかのファイルを作る、という結果が早くできるようになったか否かは、関係ない。
自分にとって大切なのは仕事の仕組みを作って、それが上長に認められ今後の仕組みに組み込まれることが非常に大きい。
だから、元増田みたいに「こういうプログラムを作ったから、この目の前の仕事をはやくこなせるようになったよ、でもそのプログラムの中身は評価されてないよ」という状況は、全く意味がない。
その、プログラムの仕組みとか利便性とかを上長に説明して、上長が理解して、
さらに、それが上長以外の人間でもいいから自分でない誰かがその仕組み自体を「再現可能」「検証可能」であることこそが、僕の中で大切なんだと思った。
もし僕が元増田と同じように、作ったプログラムによって生じた「仕事の結果」を評価されなかったとしても、
多分僕の中でそれは「そのプログラム自体が上長に評価されるような出来ではなかったからだ」と納得できてしまうのだと思う。
もちろん、元増田も一生懸命言葉を尽くして上長に説明をしたとは思う。
きっと僕も言葉を尽くして、色々資料を作ったり、なんならVBAという仕組みから喋ってみたり、いろいろ頑張ると思う。
でも、その結果が、評価されないのであれば、それはもう仕方ないよ。
そこには色々あると思う、
極端な話、この仕事の結果自体がもしかすると上長にしてみれば、どうでもいいことなのかもしれない。
だからこそ、この仕事をどれだけの工数で終わらせれて、どれだけの出来栄えにすべきなのか、そのプログラムの仕組み自体の評価を、とことん上長とすり合わせるしかない。
もしかすると、もっと早い工数で終わらせたいのかもしれないし、
プログラムの仕組みが複雑すぎてメンテナンスが不可能だから評価しないのかもしれない。
とにかく、評価しないのであれば、そこには必ず理由があると思う。
と、ここまで書いて気づいたけど、
プログラムのコードや、プログラムのアウトプット以外のところ、
ただ、これは、もうしょうがないとも思う。
だって、人の好きとか嫌いはもう、ねえ?