2017-03-03

発達障害医療機関に行けというけど

http://mess-y.com/archives/42524

これのブコメ

@irodori_kotori

発達障害かな?と感じたら医療機関へと言うけど予約取るの簡単じゃない。某クリニックの初診予約(5月分)30分リダイヤルで頑張っても撃沈。/ADD傾向で怠けてると思われて父親祖父の躾が激烈化してる息子を救いたい。

その通りだよなと思う

精神病院に行けば何かしらの処方があるかと近隣病院サイトをチェックしてみたが「大きな総合病院に行け」と書いてあるばかりだ

まれつきの障害で完治するわけじゃないし、永久に通うことになるなら駅の近くで対処して欲しい

アルコール依存症の方で受診すればいいのか?

自分ではなく弟のことだが

うちの弟は今30歳なんだけど、小学生の頃に発達障害だと判断されて区のカウンセリングに通っていた

当時自分小学生だったので詳しいことは知らないんだけど、区役所ではない何かの役所?のようなビルまで送り迎えをしていた

箱庭療法かいろいろやったらしい

それが彼にどのような効用をもたらしたかはよく分からない

弟の症状は多動性障害がメインだった

授業中、ずっと座っていることができなくて立ち上がってしま

小二くらいまでは自分クラスまで遊びにきたりしていた

シーンとしている授業中にスーッと引き戸が開き、その隙間から弟の顔が覗いて、自分と目があった途端にニッコリ笑う顔を覚えている

あれは正直ちょっと面白かった

全校朝会でも列を抜け出して前方で当時流行っていたクレヨンしんちゃんの真似をしようとしたり

まりパンツを下ろしてぞ〜うさん♪をやった

あれは恥ずかしすぎて全然面白くなかった

先生も誰も怒っていた記憶はなかったが、自分ものすごく怒ったのでその後の再発はなかった気がする

たぶん

でもしてたような気もするし、あいつがそういう奴だっていうのは受け入れられていたから、もうその時には腹も立たなかったか

同学年の弟がいるクラス女子に「あんなのが自分の弟になったら恥ずかしくて死んじゃう」みたいなこと言われた時には、こいつに弟の良さの何がわからんだと思った

でも弟はそいつの弟とも友だちだったので家に出入りしていたらしく、そこそこお世話になっていたらしい

自分クラスメイト男子には可愛がられていて、本人も年上に声を掛けられるのが嬉しいらしく、いつも彼らの気を引くためにひょうきんなことをしていた

同学年での扱いはどうだったか知らないが、なんとなく女子から嫌われているらしいという雰囲気は伝わってきてた

女の子を叩いて泣かせたり

女の子のものを取りあげたり

そんなことをして人気者になる方がおかし

ただ男子はいつも家に大挙して遊びにきていたのでハブられたり虐められたりはなかったようだ

母親は大変だったと思う

父が子育てが一番大変な時期に不倫やらかしたり、会社が傾きかけて借金取りから逃げ出すために家出をしたりで信用がなかったため、ほぼ彼女一人で対応することになった

バリキャリとして働きに出ていたので手が回るはずがない

連絡簿を弟の担任に手渡す度に「お前も大変だろうが頑張れよ」というようなことをたまに言われたが、なにを?という感じだったし、今でもわからないのだが、もしかしてあの時自分がもう少し弟の世話を上の子らしくやっていれば彼の将来は違ったのかもしれないと考えたりもする

仲のよい兄弟として認識されていたし、実際ケンカもあったし泣かしもしたが、それは四六時中一緒にいたからだ

中学生になってから小学校と同じようにはいかなかった

弟には全校生徒に顔を知られる快感というのが身に染みついていて、根が派手でトンデモな方向にむいているのはそれが原因だろうと思う

それともそれも含めて障害なのかもしれないが、それくらいなら個性のうちではある

中学校に上がり、弟は落ち着いたように見えた

年相応の少年としての情緒を育み、部活動にもチャレンジしたが顧問先生に目を付けられて止めた

これは単純に巡り合わせの不幸だった

問題だったのは成績の方だ

壊滅的に勉強ができず、かといって塾にも向いていない弟は家庭教師をつけることになった

柔らかい女子大学生の先生で、根気よく教えてくれたと思う

ただ、根本的に勉強への意欲を欠く弟の成績を爆上げするには及ばなかった

その後、高校中退するまでずっと見てくれていたが結果には結びつかなかった

高校は昼間もやっている定時制のところに入ったらしい

その頃には別々に暮らしていたためなんとなくしか把握していない

都内にはそのような定時制高校がいくつかあり、弟が通っているのは自由校風で知られた学校だった

中学担任も向いているんじゃないかと言っていた

この先生自分担任したことはなかったが、気に入られていていたのか、たまに呼び止められて話をすることがあった

担任していた生徒の一人が自分の友人で、そいつ揉め事を起こした時に相談を受けたりとか、弟が上がってきた時には「おまえの弟なんとかしてくれ」とか

「おまえの弟なんとかしてくれ」は昔から先生によく言われるセリフで、みんな笑いながら言うので漫才セリフ回しみたいなものだろうと思っていた

だが「あいつはたぶんこの先、苦労するよ」としみじみ言われたとき、そうなのか、とハッとするものがあった

しかし弟の人生は弟のものだし、自分は目の前の人間の表情しか見ずに雰囲気だけで話しているところがあるので「そうでしょうね〜」と流した

弟は高校中退した

その後、いろいろあって今は一緒に暮らしているが、正直お先が真っ暗である

好きな業界バイトをしていた時はよかった

好きなものだったからだろう、そこそこ働けていたらしく、バイトマネージャクラスにまでは行けたらしい

だが、家族から「将来性がないことをいつまでも続けていていいのか」と言われ、そのバイトをやめてしまった

それ以外のことが何もできないなんて、その時はさすがに考えていなかったんだろうと思う

いろいろ試して、でもできないのでまた業界に違う居場所を見つけた

そこは前の場所よりは経営的に真面目なところで、なんというか手堅い仕事をしていた

業界というからには似たような仕事内容ではあるのだが、肝心の成果物を弟はどうしても愛せなかった

自分の良いと思ったものが認められず、どうでもいいと感じる部分がウケているのに納得がいかず、弟はまた転職する

転職先は彼の嗜好に合致し、やる気を持って仕事に向き合っていたらしい

が、気づいた時に彼はサボりがちになり、気がついたら仕事をやめていた

それから三年くらい、末端のバイトをしたり、バイト面接を受けては落とされ、落とされ、落とされ、落とされ、落とされ、落とされ

深酒が過ぎるようになってからカウンセリングを受けてみてはどうかと彼に伝えてみた

壁を殴って敷金礼金が戻らなかったことがある

あれはもう二度とゴメンだし弟もそう思っているだろうが、酒はその信念をなかったことにする

アルコール脳みそが萎縮してからでは遅いし、もうだいぶ縮こまっているんじゃないかとも思うが、弟にとって数少ないストレス緩和手段を取り上げることへの疑問もある

弟は自分自身を嫌っているのに、それを変える方法を知らない

それ以前に自分自身障害への理解もない

本も読まないしニュースも見ないし、そもそも理解する気もないのだと思う

世界社会との接触がないものから自分の外にある知識自称に興味を持つということがない

テレビを見、ゲームをし、インターネット無料コンテンツでただただ時間を浪費している

ADHDの本を居間に置いておいた

読んでみるといいと伝えたが読んでいるのかはわからない

本は弟よりも父親効果があった

発達障害への対応には家族理解と協力と、専門家指導が不可欠だと思う

環境指導が揃わないことには何ともならない

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