2016-12-29

ポリコレが世に浸透しない理由

政治的正しさ」とか「反差別」をモットーとしてる人らって、

批判対象である政治的に正しくない差別的人間」という存在についてイメージするとき

モテない」「服装ダサい」「不潔」「ウザい」「好感が持てない」「孤独」要するに「キモい人間イメージしてるんじゃないんですか?ねえそうじゃないんですか?

…違うんだなぁぁぁ…

モテる」「おしゃれ」「清潔感がある」「さわやか」「好感が持てる」「交友関係広い」要するに「キモくない」人間にも差別的人間って大勢いるもんですよ。

信じられないかもしれないけど。

(良くても、『「差別主義者」の中に清潔感のあるヤツはいるにはいるが、ごく少数だ』程度にしか思ってないんでしょ?違うんだなぁぁぁ…)

いや念のため言っておくが「清潔感のある人間はみんな差別的」という気もないし

「不潔なヤツに差別主義はいない」という気もないが。

まあ要するに「政治的に正しい」世の中になることを望むというのであれば、

清潔感」とかと「差別的であること」をパーペキに分離しないといけないと思うし、

清潔感のある差別主義者」という存在についてもっと深く考えるべきだと思うんですが

違うんですかねえ。

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