2016-12-19

地下鉄の車内にいた浮浪者に唸った

電車が到着すると、目の前の車両だけ妙に空いていた。

その時間帯は通常でも座席に数名がまばらに座っている程度の混雑具合なのだが、その車両には人が一人しか座っていなかったのだ。

すると目の前に並んでいた数名が何かに気付いたように並ぶのを止め、別の場所へと移動していってしまった。

それを不思議に思って車内に乗り込むと、その疑問はすぐに解決した。

座っていたのは見るからに汚れた衣服を身にまとい、髪も髭も任せるままに伸ばしたままの若い浮浪者で、社内には鼻を指すような異臭が充満していたのだ。

わたしのあとに乗ってきた乗客は一瞬で顔をしかめるとすぐに別の車両へと移動していってしまった。

それを見ながらこれは誰かが注意しなくてはいけない問題だと思い、なんと声をかけようか彼の方に目をやると、彼の手に握られているものが目に入った。

彼がそれを意図していたのかは知らないが、料金と日付けが印刷された面がしっかりと見えるようなかたちで彼の手に切符が握られていたのだ。

これには思わず唸ってしまった。

山手線のように循環しているなら不正乗車が容易に疑われるが、これは都内を横切っていく地下鉄の車内だ。

手に握られている切符記載されていたのは、進行方向に矛盾のない、わたしが乗り込んだ駅の3つ手前の駅名だった。

まり、彼は乗車する権利を持っているのだ。

わたしは彼をどんな理由でこの車内から追い出すことができるのだろうか。

世の中にはマナーというものがある。

お互いが気持ちよく過ごすために必要な、いわば暗黙のルールだ。

確かに彼は匂いと不潔さという、公共の場において明らかなマナー違反をしていると言える。

しかし、世の中には容易くマナーを破る人間もいれば、自らのルール押し付けてくる人間もいる。

どこまでのマナー違反ならば乗車を拒否することができて、どこまでのマナー違反であれば個人の持ちうる権利だと言えるのだろうか。

多くの人間にとって見れば、わたしマナー違反の客をつまみだした英雄と称されるかもしれない。

しかし、彼本人にして見れば、それは世の中の常識押し付けるという一方的暴力にも感じられてしまうかもしれないのだ。

その生活が彼が望んで陥ったものではないとするのであれば、ここでわたしが彼を車内からつまみ出すことは果たして正義と呼べるのだろうか。

すぐに答えを出すことができないわたしは、とりあえず自らの行動の是非を問うためにも彼と同じ車両にいようと思い、扉を挟んで斜め前の席に腰を下ろした。

同じ権利を持つ者同士、追い出すことも出ていくこともおかしいことのように思えたのだ。

彼はそんなわたしことなど気にする様子もなく、相変わらず切符を持ったままどこか一点を見つめている。

次の駅に差し掛かると、先ほどとは違い乗客普通にこの車両に乗り込んできた。

しか異臭に気がつくと車内を見回し、浮浪者がいるとわかるとやはり何も言わずに隣の車両へと移っていってしまった。

おそらく、乗り込むときわたしが目に入ったことから、車内の異変を察することができなかったのだろう。

確かにその浮浪者は臭かった。掘り下げるまでもない浮浪者特有匂いは、一駅を通過しても相変わらずに鼻を突いたままだった。

もちろんその匂いは耐えられるものではなかったが、しかし、その疑問と向かいあいたい一心で、わたしはその場を離れることができなかったのだ。

そうこうしている間に電車は次の駅に到着した。

すると浮浪者の彼は立ち上がり、車外へと降りていった。

どうやらここが彼の目的地だったようだ。

やはり、彼は自らの権利を全うしたに過ぎなかった。

しっかりと料金を払い、自らの移動の権利行使したのだ。

ならばわたしがするべきことは何だったのだろうか。

くさいということを理由健康的な食事で培った肉体で彼を車外に追い出せば、それは正義という名の暴力と同一だ。

混雑していた車内であれば遠慮を促すこともできたかもしれないが、全く混雑してないこんな状況であれば多くの健康的な乗客車両を移動すれば席からぶれることなく済む問題だ。

お金わたしシャワーを浴びろといったところで、そんな支援継続的にできるわけでもないなら明らかな偽善だ。

それにもし彼が空いている時間帯を選んで、迷惑を最小限にしようと考えていたのであれば、これ以上のない気遣いだったと言えよう。

結局のところ、何かを嫌だと感じたなら自らが避けて通ることしかできないのであって、それが嫌ならその場にい続けることしか出来ないのだ。

なぜなら、そこにある権利は対等であり、等しく切符代を払った電車乗客しかないのだから

もしこれが異臭ではなく、人前でのメイクや、折りたたまれないベビーカーイヤホンから漏れ大音量音楽、大声の通話座席の独占、床への座り込み匂いの強い飲食、大きく膨らんだリュックサックなどだったらどうだっただろう。

今まではそんなこと一つ一つに嫌な顔をしてきた自分ではあるが、今回のことを受け入れられたのだからこれからは全てを受け入れることができるだろう。

わたしの行動が正しかたかどうかは分からないが、そういうことに寛容である世の中であって欲しいと思う気持ちが芽生えた出来事だった。

そんなことを考えていると、締り際のドアに若い女性ギリギリで駆け込んできた。

間に合った安心感と走ったことによって上がってしまった息を整えるように大きく息を吐いてから深呼吸をした直後、驚きと恐怖と怒りと嫌悪が複雑に入り混じった視線わたしに投げかけてきたのがわかった。

わたしではないと言いたかった。しかし、この状況を簡潔に説明できるような時間も余裕も話術も持ち合わせていなかったわたしは、困惑視線を返すことが精一杯だった。

すでに怒りに支配された靴音を響かせながら隣の車両へと移っていく女性の後姿を目で追いながら、浮浪者が降りたあとは自らも車両を移る必要があるという知見を得たことに取り残された車両で一人唸っていた。

  • 臭いから注意しようと思ったんじゃないの? なんで切符見て躊躇うの? 「臭い奴は無賃乗車に違いないから注意しよう」って思ったけど違ったからなの? そうだとするとただの差別じ...

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