店長は、まるで俺たちがくるのを待っていたかのように、店内に構えていた。
「店長、『アレ』を観に行きました。映画自体は面白かったです。もちろん完璧ってわけではないですが。問題はそれを語る人間です」
「何がどう問題なんだ?」
店長の態度はまるで全て分かっているようで、ただの問答が白々しくも見えた。
「あいつらは映画の話をしているようで、実はしていないんです。映画をネタに政治を云々している奴らもいた。そーいう主張そのものを批判するつもりはないが、あの姿勢は肝心の映画を蔑ろにしている」
店長は生え始めの髭を数回さすりながら、しばらく考えるように目を瞑る。
「映画というコンテンツが、今なお強力なのはなぜか分かるか? それはな、芸術だからだ。芸術ってのは正解がない」
「焦るんじゃない。理解するには、結論だけでは不十分なんだ。芸術に正解はない、つまり人の意見は千差万別で、一枚岩ではない」
「だからって、映画をネタに関係のないことを主体に語っていいとまでは俺たちには思えない」
「映画はそこまでの度量がある、と考えればいい。そんな奴らすら受け止め、枠組みに入れ、正解も間違いも曖昧にさせ、意見を分かち合わせる。だから映画はこんな時代でも強力なコンテンツであり続けるんだよ」
彼らの姿勢の是非はともかく、映画にとってそんなことは重要ではなくて、清濁併せ呑むことができる。
店長が俺たちに言っていた「健全」ってのは、本当の意味での「濁」を知らなかったってことだったんだろう。
「案外悪いことでもないってことさ。それで本質的な価値が脅かされない限りは、映画をネタに政治を云々したい奴、自分語りをしたい奴、そんな一見するとほとんど関係のない奴すら同じ輪に入る。それって実はすごいことなんだぜ」
「知らないくせに首を突っ込んでくる奴も?」
これでひとまず今日は眠れそうだが、そういえば気になっている事が残っていたな。
「オサカの総括的に、結局『アレ』はどうだったんだ?」
「そうだなあ、監督が以前手がけた映像美以外に褒めるところがないものに比べれば、その反省点を活かした構成になっていてストーリーもかったるくない。大衆が受け入れやすいよう分かりにくかったり面倒くささも極力排除されていて、逆にそれが監督の持ち味になっていた『何となく深そう』だとか、『共感できるやつだけすればいい』みたいな突き放した、独自の美学が作風に反映されていた部分も減ってしまっているのが残念かな。自分としてはホソダ的な基本はフィックスアングルで、ここぞというときにカメラ的な動きすら演出にするやり方が好みなのだが、あの監督的には多少ごちゃごちゃしているほうがいいかもしれない。演技に関してはアニメにありがちな明瞭としたのではないが、あまり前面に主張してこない声質? 演技がより一般大衆にウケたとも考えられ……」
「あー……やっぱり、また今度聞かせてもらうよ」
「うひゃあ、なんだかスゴイことになってるなあ」 会計を済ませて店を出ようとすると、すれ違いさまに見知った人間とすれ違った。 俺と同じ学校に通っているカジマとタイナイだ。 ...
映画の内容は、たぶん面白かった。 俺はそこまで映画を観るわけではないので相対的にどうかは分からないが、映像は綺麗だし、アクションシーンも盛り上がっていた。 ストーリーも...
映画ってのはどう観るのが正解か。 そして、作品ごとにどう受け止めればいいのか。 ひとまずベターな答えは「正解なんてない」ということになるのだろう。 じゃあ、正解がなけれ...