2016年11月19日の日記

2016-11-19

女がいなければ子供は生まれないっていうけど、

どちらが欠けても子供できないんだから仲良くしろ

http://anond.hatelabo.jp/20161119212649

工学部程よくはないかもしれないけど、学部の時点で文学部ってだけで就職詰むって国立だとそうそう無いと思うんだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20161119221136

君少なくとも黒澤とドストエフスキーは見てない(読んでない)でしょ。

昼人と夜人に分かれればいいんだよ

深夜労働が色々と疎まれているみたいだが

世の中には夜に生きたい人だって多くいるはずである

そんな夜人にとって24時間営業のお店は一種生命である

昼人の身勝手によって夜人のささやか生活が奪われてしまっていいのだろうか?

昼人は昼働く

夜人は夜働く

それでいいじゃねえか

http://anond.hatelabo.jp/20161119225519

客観的に考えて、レガリアのほうが違約金高かったんじゃないの

ガリアって最後までやる必要あった?

結局女の子可愛いだけのアニメで終わってたじゃん。

ロボの作画もまあ頑張ってなかったとは言わないけど見てて特に面白いとは感じない程度だしさ。

こんなアニメわざわざ最後までやろうとして他のアニメ落とすとかアホでしょ。

サラマンダーよりはやーい」と言われたのは?

違います。それは飼い主です。

すっごくイラっとしたので、君らも引っかかるが良い。

やっぱりオナニーは良くない

身体的にも精神的にも

快楽だけを貪って悪影響が無いわけなかろう

大脳が壊れる前に早く握ったチンコを離して人間に帰るんだ

http://anond.hatelabo.jp/20161119221136

例えば自分自殺しようとする時に、「どうせなら他に死にたいと思ってる人を救うっぽいことして死んだらカッコよくない」くらいの感じじゃないすかね。

違います

聞き間違った歌詞のほうが遥かに名曲だったのに

正しい歌詞なんて知るんじゃなかった

ウォシュレット地獄

今や温水洗浄便座は我が国に広く普及し、それにすっかり慣れてしまった。

俺はもうウォシュレットでない便器では排便できない。

俺が子供の頃、ウォシュレットなんてものほとんど普及していなかった。だから排便後は紙でサラッと拭いてそのままパンツを履いていた。

あの頃は大らかなもので、洗髪だって毎日はしなかったし、周りもそうだった。そういう時代だったのだ。

だが俺が思春期になった頃に「朝シャン」が流行し始め、とにかく清潔にしてニオイを断つことが中高生あいだで広まった。

俺も朝シャンはしないまでも毎日頭を洗うようになったし、その頃からケツの清潔さも気にするようになった。

排便後、力一杯ケツを拭いても紙が純白のままになるまで、何度でもケツを拭くようになったのだ。

しかし、歳とともに、「紙が純白のまま」になるまでの回数は増えて行った。高校生の頃はまだよかったが、大学生になる頃には排便する時間よりも拭いている時間の方が長くなった。

やがて、何回も拭いているうちに出血するようになった。目標は「紙が純白のまま」から「紙に血は付いているが便はついていない」=「紙に赤色成分はあるが黄色もしくは茶色成分がなくなるまで」に変わった。

そんな頃普及しはじめたのが温水洗浄便座である。これはまさに科学の生んだ福音であった。

温水洗浄便座で肛門を洗浄した直後に紙で拭くと、一回目でありながら紙には何の穢れもなく、完全に浄化されていたのである

俺はその後何年かの間は、偉大なる温水洗浄便座様の恩寵感謝し、心の底から帰依しながら心安らかなる日々を送っていた。

温水洗浄便座の欺瞞に気付いたのは、その数年後である

肛門を洗浄したあと、なにかムズムズする感覚があるので、念のためにもう一度拭いてみた。するとどうだろう。紙に便が付いているのである

温水洗浄便座は表面をキレイにしているだけで、ちょっと中の方は奇麗になっていなかったのだ。

こうしてウォシュレット地獄が始まった。

排便後に温水洗浄便座で肛門を洗浄

紙で拭くと便は付かず奇麗

念のためもう一度拭いてみると紙に便が付いて汚い

もう一度洗浄

紙で拭くと便は付かず奇麗

念のためもう一度拭いてみるがやはり奇麗

三度目の正直でもう一度拭いてみる

紙に便が付いて汚い

もう一度洗浄

以下無限ループ

便器内に紙が増えてきてそろそろ流さないと詰まりそうでやばい

流す

流した直後はウォシュレットの水圧が極端に下がるのでタンク内に水が溜まるまで待つ

タンクに水がたまったので再び肛門を洗浄

紙で拭くと便は付かず奇麗

念のためもう一度拭いてみると紙に便が付いて汚い

再び無限ループ

このループから抜け出すまでに、イヤホンで聴いていたブラームス交響曲第3番(40分弱)が一曲まるごと終わってしまったことがある。

このループを早く抜け出す方法として、やがて私はウォシュレット浣腸見出した。

最強水圧で直腸内に温水を噴射して浣腸し、そのあとやや弱めた水圧で通常に表面のみ洗浄してから紙で拭くと、3〜4回目まで紙に便が付かず、付いても血液のみ、という結果になる可能性が飛躍的に高まるである

ところが、この方法にもやがて限界が現れはじめた。

最強水圧で噴射しても、私の中に水が入ってこなくなったのである。私の肛門が頑になって、外からの愛を受け入れなくなったのである

こうなると救いの道は悟りしかない。愛への執着(しゅうじゃく)を捨て、犀の角のように只一人歩むのだ。

通常の方法で洗浄して一度拭いて奇麗だったら、それで良しとすべきなのだ。小欲知足。南無阿弥陀仏

そんな時、新たなる福音が私の前に現れた。

http://togetter.com/li/1050158

日本で生まれた温水洗浄便座は、海外においてさら進化を遂げていたのである

日本の温水洗浄便座の最強水圧を遥かに上回る神のような水圧を持った浣腸機能が、海外製品では標準装備されていたのだ!

絶対的な境地を求め諦めることなく進み続ける。それこそが全知全能の唯一神を信じる一神教精神であり、これこそが科学進歩をもたらしたのではないだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20161119222209

ああそうなんだ。急にフレンドがオナリスだらけになったか歴史を変えるようなとんでもない性能なのかと思った。

会社に勤めて無くてもニートではないかもしれない。

会社に勤めていない」をイコールニートだと勝手にみなしてる人をよく見るけど

普通に考えて学生生徒児童、定年後の老人は勤めて無くてもおかしくないし、自営業団体職員、専業トレーダー、各種フリーランス政治家みたいに「会社」に勤めてはないけど働いている人ってのはたくさんいるんだけどな。あと不動産収入暮らしてる人とかも居る。


まあ学生場合バイトしろとか、老人も年金だけじゃなくて多少は働けって意味合いで叩かれてるのかもしれないけど、

流石にニート呼ばわりはひどすぎるんじゃないかと思う。

ジョジョ4部に失望した

絶賛アニメ放映中のジョジョ4部なんだけど

4部で一番素晴らしいと言えるシーンが台無しだった

美那子彼氏が爆破されるシーンはもっとスタイリッシュなんだよ

胸に手をあててすれ違いながら爆破して

その後にさりげなくネクタイを直す動作がないとダメなんだよ

あのシーンで吉良に惚れた人間がかなりいる(俺調べ)のに

ネクタイ直ししないとかどうなってんだよ

失望したわ 来週も見るけど

一発屋としてのピコ太郎が死んだとしても、本体の方は何も傷つかない、っていうさ。

日本人の美意識

日本人の桜の花の愛し方は実に変わっている。世界の人は普通、満開の花を愛するものであるが、日本人は散り際の桜をこそ最も愛するからである

それは諸行無常への愛である。一つの生を生き切った花を見送ると同時に、それは新しい芽吹きへの予感を伴っている。

それは死と生と常に変化し続ける世界をそのまま認める態度である。だから散り際は切なくはあっても悲しくはない、むしろ愛おしい。


同様に、日本人未完成もの、左右非対称な歪んだものを愛する(茶道の歪んだ茶器や左右非対称が基本の生け花のように)。

それは「世界には意味がある、完成形がある」という目的論への強烈なアンチテーゼである

現実をきれいに整理整頓して大きな意味をもって見ようとする欲望世界中にあるが、この欲望はあるがままの現実直視できない弱さでもある。

この混沌現実をそのまま受け入れて愛でる、そういう愛し方ができる日本は素敵だと思う。

生きる意味への反論

http://anond.hatelabo.jp/20161119215613

最終的にキリスト教様様に持っていきたい方のご意見と思い反論をさせていただきます

黒澤明『生きる』を観る。

結論子供に生きる意味見出してる人が多いけど間違い。とにかく楽しく生きることに意味を見出すのも違う。生きる意味は、何かを作り出すことにある。

⇒疑問:何も作り出せない人はどうすんの?

作り出すもの商売になる創作物だけではありません。実際、生前は優れた創作を作りながらも全く評価されなかった芸術家も数多くいます自分が作ったもの評価されるかどうかは後世の人の価値観によるものです。

宮崎駿もののけ姫庵野秀明新世紀エヴァンゲリオン』を観る。

結論:生きるのはめちゃくちゃ辛いけど、とにかく生きなきゃダメ

⇒疑問:いや、理由は?

まあ、今時の若者に対しての「死ぬんじゃねーよ。俺たちの老後が困るだろー」っていうプロパガンダ的に優秀な作品ですよね。

◇イニャリトゥ『バードマン』を観る。

結論:生きる意味成功や名声にあるのではない。やりたいことをやることにある。

⇒疑問:やりたいことをやれない人はどうすんの?

やればよくない?

やれないなら、やれるところから自分のやりたいことを探すこともできるはず。

カフカ『城』『変身』を読む。

結論個人の生きる意味社会に占める地位職業、父)を通してしか存在しないよ。

⇒疑問:そんなん辛すぎて死ぬわ。

悲観論に引きずらるのは、悲観論正論としたい気持ちがあるからでしょ。カフカ命中とは全然社会状況違うし。

ニヒリズムナルシシズム同類だよ。

ニーチェ『悦ばしき知識』を読む。

結論:群体としての人類ならともかく、個体としての人間には生きる意味なんかないよ。

⇒疑問:・・・。

ああ、いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律



~~この辺で上記の映画・本が前提していた無神論(=キリスト教でないこと)に疑問を持ち始める~~

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』を読む。

結論個人個人高潔さが人類全体の罪を贖うんだよ。そこに生きる意味があるんだよ。

⇒おお・・・

内村鑑三『後世への最大遺物』を読む。

結論:金儲けや教育や物書きの才能がある人はそれで後世に遺産を残せる(そこに生きる意味がある)けど、そうでない人も、高潔な生涯を送ればそれ自体が後世への遺産になるんだよ。

⇒(泣)

◇『聖書』を読む。

結論人間は、信仰を通じて高潔な生涯を送り、神との関係回復することに(この世を)生きる意味があるんだよ。

例えば自分自殺しようとする時に、「どうせなら他に死にたいと思ってる人を救うっぽいことして死んだらカッコよくない」くらいの感じじゃないすかね。

自分死ぬときには、死ぬことを他の人のせいにしないで自分自分意志死ぬという挟持を持てるようにする方がよくない?

やはり自分には勝てないらしい

自分を苦しめて破滅に導くという自分という存在

なぜ生物生命の維持を放棄しようとするのか

本当に不思議

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