本当は好きではないのにアニメや声優やゲームでキャッキャしてるフリをしている人はけっこういたのではないか。
現実においても自分の精神にアドレスが記入され、オタクというレッテルを貼り、それをアイデンティティにできたから。
二次元文化は、世の中に夢中になれるものがなくて、誰ともつながれない僕らの最後の居場所だった。
本当に好きな”真のオタク”の周りで、必死に付け焼き刃の知識をつけながら分かった風な顔して頷くしかない。
リア充のまわりに必死にしがみついてる、擬態した偽リア充を”キョロ充”と呼んだけど、同じように僕らは”キョロオタ”だった。
僕らキョロオタはお互いに心の目配せをしていた。
「わかっているよ、君も同じだろ」。
でも、この10年くらいで、二次元はライト層を大量に呼び込むようになった。
ライト層は、ものすごく器用に二次元を楽しむ。二次元で本当に素直に笑える。
人にも公言できる。アニメのグッズを身に着けて、堂々と町を歩ける。
彼らはなんて楽しそうなんだろう。
そのことに気付かされた時にお祭りは終わった。
祭りの隅っこではにかみながらお互いを確かめあえた仲間たちは人混みに攫われて消えた。
今の僕に居場所はない。
僕が勝手にそう思っていただけで、居場所なんて最初からなかったのかもしれない。
二次元がテレビで取り上げられ、市民権を得ていく光景をどこか誇らしく思っていた00年代が懐かしい。
自分が世界に承認されたように錯覚できたあの頃に、僕と世の中をつなぐ紐帯は擦り切れ始めていたのだなあ。
今はもう二次元に興味がない。
それは僕にとって世の中にも興味を失っていることを意味している。
ドラえもんじゃないけれど、僕は世界から1センチだけ浮いている。
つなぎとめる何かが欲しい。でもそれはまだ見つからない。
恋人でもいれば違ったのかな、と思うこともあるけれど、すぐにそれを打ち消す。
二次元への態度と同じように、僕は猛烈に燃え上がることが出来ず、恋に恋することしかできないだろう。