2016年11月05日の日記

2016-11-05

http://anond.hatelabo.jp/20161105233601

決まった場所にたどり着くまでのどこかになくしものがあると限定されるんだ

格段に見つけやすくなる

クレカがある程度蔓延るのはもうしょうがない。今はそういう時代だし

でも頼むからクレヒスないやつが人扱いされないような社会にだけはならんでくれ

時間がない

足の付け根のファンタスティックビースト魔法使いへと旅立とうとしている。

四捨五入ではもう魔法使い

救ってくれる女神はどこかにいるのだろうか?

バイト先のババアのうざさよ

ババアっつーか最早おばあちゃんなんだが

まず私が今何やってるか見てから怒って欲しいわ

間違ってたら怒っていいから見もせずに言うのやめて

ポケモンGO規制

とうとう任天堂岩田イタコ芸まで始める奴が出てきて、

理屈の通らない主張を押し通す手段総力戦になってきた感があるな

物を決まった場所に置くとなくし物しなくなるって言うけど

決まった場所にたどり着くまでに無意識にどっかに置いてるという

貼り紙は視界に入らないし呟き続けてもふっと自分が何言ってるかわからなくなる

5分前にやろうと思ったことが思い出せない

Requirementって

推奨環境とかシステム要件とかハードウェア要件とか、要するにソフトウェアの箱に書いてある(かつて書いてあった)メモリがどれだけ要るとかCPUがどうだとかいうやつって、どうやって決めてるの?

積算みたいな根拠があって決めてるのか、それとも「常識的に考えてこのぐらい要るだろ」みたいな感覚で決めてるのか、あるいは動作試験やって「これじゃ厳しいわ」って決めてるのか、どうなの?

なんか、あんまりにも初歩的なことで恥ずかしいので、増田でこっそり質問します。

ネットワークに詳しい増田ちょっと来て

さっきからネットに繋がらない。

一旦PC側でネットを切ってから接続したら繋がることは繋がるんだけど、

10分くらい使ってるとまた切れる感じ。

これがただ単に繋がらないだけじゃなくて、『GoogleYoutubeにだけ』繋がるっていう謎な感じ。

ブラウザキャッシュとかじゃないよ、見たことな動画とかでもちゃんと見れるから

ルータ再起動してもダメだ。

なんだろうこれ、誰か助けて。

http://anond.hatelabo.jp/20161106133841

ろんぐらいだぁすとかの万策尽きた系のアニメが頻発してる現状みると、

3年で動画から原画にあがれないやつはクビを切るという制作会社制度は正しかったんだと思える。

下手なまま原画にあがられると作画クオリティが下ってアニメ全体が不安定になってしまう。

よく動画原画給料が安いっていう話を聞くが、それと同じぐらい原画の人手が足りないという話もきく。

これは需要供給バランスを考えるととてもおかしい話だ。

原画の人手が足りてないのであれば需要のほうが高まるので給料も良くなるはずだし、

給料が安いという事は同じレベル作業できる人が沢山いるという事だ。

ここから考えられる事は実際に足りてないのは「一定レベルを越えた原画マン」であり

一定レベルを越えてない原画マン」は沢山いるのだという事だろう。

一定レベルを越えた原画マン」を多数のアニメで取り合うためアニメ業界が全体的に原画不足になってしま

一定レベルに逹っしていない原画マン」が原画として参加する事でリテイク作業が増えスケジュールが圧迫し万策が尽きてしま

これは解決方法簡単アニメ制作本数を減らせばいいのだ

そうすれば「一定レベルを越えた原画マン」の奪い合いはなくなり作画も安定しスケジュールが圧迫される事もない

一般アニメ視聴者からしてみても安定した作画アニメが見れるので喜ばしい事である

ここで問題なのはそうなったとしても動画原画給料事情改善されないので「一定レベル」を越えられない人たちはやはり苦しいのだろう

人がなにゆ共感し?凝集しある目的に向かい集中すのかが分からない

これはきっととても重要なことだ

戦略書などではこれは士気というものとされるだろうが

士気とは何かいろいろな説明はあるがこれがイマイチわからんのだ

我々はどうして集いどうして進むのか?

コミュ二ケーション障害」「コミュ障」に対する勘違いを何とかしたい

まず書いた人の前提


  • 【失体感・失感情
    • これも勘違いされやすいので書いておきたかったんだけど、感情が"無い"んじゃなくて、自分がどういう感情を抱いているか分かりにくいので、ストレスに感じる作業を気にせず続けてしまったり、自分に敵意やよから感情を持っている人とも仲良くしてしまう。失体感はこれも"無い"んじゃなく、暑すぎる・寒すぎる・体の疲れなどを認識しにくいということ。ちなみに同じASDでも症状は様々なのでこの症状がある人もいれば無い人もいる。

ASDと診断された、と言ってもうつ病の薬をこれ以上飲まないために検査を受けただけで、世間一般に言うほどめちゃくちゃ人間関係に困ってる、ということはない。

感情が原因かもしれないが"生きづらさ"みたいなのはないし、子どもの頃から変な部分も「特性である」と理解してくれる友人に恵まれイジメとかも受けたことがない。

学生時代ステージでの活動時代錯誤校則を変える活動なんかをしていて、実際に校則を変えたし、部活動でも優勝経験がある。

今のところ人生順風満帆である

コミュ二ケーション障害とは

まず上の前提を読んで「IQ120とか自慢かよ」「結局自慢かよ」「ナルシストかよ」と思った人がいるかもしれない。

その気持ちは大切にしてほしい。それが「普通の人」の感覚

私は事実を脚色なく述べたまでであって「自慢をしよう」「他の人にマウントを取ってやろう」という気持ちで書いてるわけではない。

実際に指摘されたことがあるので、今は「ああ、これは自慢に見えるんだな」と思うことができる。

ASDや失体感・失感情イベント主催したりする上で障壁になるため、告白したところよく知らない人に「病気自慢かよ」と言われたこともある。

私も「コミュ二ケーション障害」と聞いて「普通に会話もできるし、一般的に"コミュ障"って言われてるようなことはないから、当てはまらないな」と思っていた。

でもそれだけじゃない。

こういう「これ書いたら自慢に見えるかな?」と思うことができない「他人から自分発言がどう見えるか?」が分からないこともまたコミュ二ケーション障害らしい。

対面での会話時は逆に表情やジェスチャーが加わるので、誤解されることが少ないと思う。こちらもまた誤解することも少ない。

先の「それ取って」(http://anond.hatelabo.jp/20161104204321)なんかは日常生活では問題なく分かるし会話にも困らないけれど、私にはコミュニケーション障害がある。

一般に言う「コミュ障」はただの口下手であることが多いと思う。実際にはそれよりも広い意味があると理解してほしい。

結局何が言いたいか

コミュ二ケーション障害」「コミュ障」は会話によるコミュ二ケーションが困難なこと、も含まれるがそれだけではないということ。

「私コミュ障でさー」とカジュアルに使われるほど一般的になっているけれど、そういう時に言う「コミュ障」と実際の「コミュ障」は別物であるということ。

先にも述べたようにだいたい「口下手」か「人見知り」に置き換えられると思う。それは「コミュニケーション障害」じゃない。

もし「いつも喋ってると言いたいことと違った風に解釈されて困る」っていうならコミュニケーション障害を疑ったほうがいい。

あとがき

私のように自閉症特性は強めだけど、何も困っていない(実際は眠る時間がまちまちだったり、偏食があったり、感覚過敏があったり、前述の失体感で慢性の肩こりがあって突然倒れたりもするけど、まあ困ってない)人もいるんだし、もうちょっとカムアウトしやすい風潮になるといいな、と思った。

いつか自分ブログに載せたいな、と思っていたけど「病気自慢かよ」がネックになってアップできないでいたので、便乗してここに書いておく。

そういう心配なく、自由に「自分はこう思ってたんだけど、世間一般的にはこれが正しいらしい!」とか驚きを感じたことが書きたいなあ、と常に思ってるんだけど、元々趣味方面で目立ってしまっているので、最近自粛してる。

これもひとつ特性らしいけど、みんな仲良くしたほうが誰に取っても得だと思うので、誰かの特性を指差して笑ったり、さげすんだりせずにいてほしいなと思う。

最近特に思うけど自分の気に入らないことを見つけて「なんだとー!」って怒るのは、怒ってる方も疲れるんじゃないかな。

最後に診断してくださった先生が言っていた言葉を書いておく

自閉症特性は治すものではないので困ってないなら病院に来なくてもいいですよ」

困ってる人は病院へ行こう。

追記諸々


※追記

これも勘違いがあるけど、一般的に「コミュニケーション問題がない」と言われているのは、自閉症スペクトラムの中でもアスペルガー症候群の人であるということ。当事者の人も勘違いしてることが多い。

なぜなら言語IQが高いのがアスペルガーの特徴で、動作IQが高いのが高機能自閉症の特徴だから

これも広く知ってほしい。よって口下手な人や人見知りの人に向かって「アスペかよ」というのもまた違う。

(もちろん症状は様々なので、コミュニケーション問題があるアスペルガーの人"も"いるとは思う)

個人的意見だけど、実際に会ったことのあるアスペルガーと診断されてる人は外国語ペラペラだったり弁がたつ人が多い気がする。

※追々記

困ってないカジュアルASDは黙ってろっていう風潮もよくないと思う。同じASDなら仲良くしよう。

困ってるか困ってないかの分かれ目は、自己肯定感の有無だって聞くよ。

ASDメンタル病気じゃないので、メンタルヘルスを病まないように心がけよう。

瞑想睡眠運動野菜350gだっけ?やってないけど。

ちなみに「対人関係で困らないように生活する努力」は子どもの頃からしてる。自分場合は反発も多いけど、親の躾が厳しかったのも功を奏してる気がする。(就活転職アルバイト面接でも落ちたことがない)

困ってないASDを見て「楽しやがって」って怒るのは違うと思う。それはうらやましいからだよ。

全然楽じゃないけど、何かを頑張って結果が出ると嬉しいから色々試行錯誤する。

うらやましいと思うなら頑張ろう。私は今困ってないのはその分頑張ったからだと思ってる。

「生きづらさ」がもし社会的チケットに起因するものなら、頑張って身につけるべき。

アンガコントロールだってできる。視覚過敏も聴覚過敏も対策できる。

それ以外は適当でも構わない。頑張りすぎるのが我々の特性でもあるんだから

11/06 11:23 追々々記

IQが高い=頭が良い」というのも勘違い。世の中の「これが解けたらIQ○○以上!」っていうのに毒されすぎだと思う。

IQっていうのは器用さみたいなもんで、普通の人が普通にするようなことができないから、それを補うために上がってるらしい。

から標準が最善と考える私にとってはIQが高いのは恥のような感覚がする。

学歴だけの話をすれば、数字が上手く記憶したりできないからめちゃくちゃ頭悪いよ。

普通に生活できるならそんなもの必要ないと思うし、何か恩恵を受けたこともない。

余談だけどIQを上げる塾、みたいなのも世の中にはあってIQだけ上げたいなら訓練すれば上がるらしい。同じようなテストを受けたことがあるかどうか聞かれるのはそのため。

あと全発達障害者や全ASD人間関係に困ってないといけない、みたいなのやめよう。

(これを自分の中で「かわいそうマウント」と呼ぶことにしてる。かわいそう、かわいそう、と言いながら相手が困窮してる状態を望んでいる様。)

繰り返しになるけど、困ってるのなら病院に行くこと。

「生きづらい」と思うことがまず普通状態でないということを知るべきだし、まずメンタルを治してから生活習慣を身につけたり何やりするべき。

家族が苦手なら一人暮らしを推奨するよ。

自分の居心地のいい環境を作ることは普通の人と違う異常なことじゃなく、ASDにとっては「普通」と思うことが大事

普通の人と同じことが出来なくても気にしない。

人に話しかけられたらニコッと挨拶するとか、行儀礼節をわきまえるとか最低限のマナーを守るぐらいでいい。

上に書いたみたいに、突然倒れたりすることがあるから特性を周りの人に知っておいてもらいたいのに、なまじ普通に見えるおかげか言ったところであまり正しく理解されない。

発達障害ASDに対するイメージが悪すぎると思う。

最近流行りのASD発達障害家族コンテンツにした当事者以外の人によるイメージ操作もある気がする。(特別視しすぎ・失敗をネタにしすぎ)

もうちょっと発達障害者ASDに優しい世の中になってもいいんじゃないだろうか。

シロクマ先生言葉を借りると

シロクマ先生言葉を借りれば「よく発達した発達障害の人」といえるのかもしれない。

「よく発達した発達障害」の話 - シロクマの屑籠

http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20161018/1476751839

11/07 0:23 こっちも書いたので読んでほしい

http://anond.hatelabo.jp/20161106231140

[]聖体論争

カトリックにおいて、聖餐のパンぶどう酒は、実体としてキリストの体と血へと変化するとされるが、(化体説)

これに対してルターは、パンぶどう酒実体は変わらず、ただキリストの体と血の実体と共にあるのだとした。(共在説)

またツヴィングリは、パンぶどう酒キリストの体と血の象徴にすぎないとし、(象徴説)

カルヴァンは、パンぶどう酒実体は変わらないが、そこにキリストが霊的に存在しているのだとした。(臨在説)

こうした論争を聖餐論争、あるいは聖体論争という。

聖杯戦争ではない(これが言いたかっただけ)。

菊池誠

誰だっけと考えてると菊池桃子とか菊池秀行が邪魔をする

日本は素晴らしい技術を開発するのは凄いけど

技術標準を採択するのに大きく関与したり世界的なルールメイキングの主導権を握ったり出来ないよな

結局、個人が本当にいいもの評価しようとせず大きな流れに身を任せるだけのムラ社会さが抜けきらないのが問題

昔々、あるところにソフトウェア開発をしている人達がいたそうな

昔のソフトウェア開発だとコンパイルをできる大型計算機ってのはとっても高価で一台しか無かったそうな

おまけにコンパイルするためには平気で1日とか2日とかかかっていたそうな

ソフトウェアバグが混入しておるとその分の稼動が全て無駄になってしまうので

ソフトウェア開発者コンパイルをする前に入念なチェックをしていたそうな

入念なチェックをフェーズに分けて行うための仕組みとしてウォーターフォール型というものが考案され

抽象的なソフトウェア仕様からコンパイルに書ける前のコードになるまで

段階に分けてソフトウェアバグが無いかチェックしていたそうな

詳細設計書というのはその名残で、コンパイルをかけるときバグがあってはならんから事前に設計するようにしたんじゃ

ところで結局ウォーターフォール型では各工程不都合が生じたときに前の工程に戻ることが難しく

本当の意味でのソフトウェア品質や工期が伸びてしまうのが大きな問題

それを解決できないか試行錯誤しておるうちにハードウェア進化して開発者みんながパソコンを持てるようになり

ソースコードを書きながらコンパイルできるようになったもんじゃからこの方法海外では廃れてしまったのじゃ

一方日本ではウォーターフォール型というもの古来より日本社会システムにある天下り制度マッチしてしまったこともあり

ウォーターフォール型が大変好まれて今も使われているというわけじゃ

これが日本大企業からろくなソフトウェアが生まれない理由なんじゃと思うのぅ

http://anond.hatelabo.jp/20161105155342

http://anond.hatelabo.jp/20161105115452

日本ポピュリズム新自由主義的になったのは、ここ数年の話

20年前は普通に福祉論議が多かった

今、国家社会主義アプローチが嫌われてるのは、自民党がそもそも国家社会主義であることと、それからより保護主義的な民主党政権の失敗の影響だね

逆に絶対必要ドキュメントって何だろね

中小SIer的には

インストール(環境構築)手順書

DB設計

この2つだけは無いと詰む

http://anond.hatelabo.jp/20161105190538

だいたい同感。 経済的価値物事価値すべてだと思い込んでるというかこういう話する奴とか身近でされると「うぜー」って思うだけ。

http://anond.hatelabo.jp/20161105225712

では誰かがその所有権を俺が侵害したら、

みんなの一部であるお前は命をとしてその所有権を守ろうとするだろうか。

守れなければそのまま所有権強奪され、みんなから失われる。

所有権を主張するということは実力を持ってその権利を守るということだ。

みんなとやらにその実力があるなら示して見せよ。

http://anond.hatelabo.jp/20161105225655

「詳細設計書」の書き方も会社によるだろうけど、ソースコードと「粒度が同じ」っつーんだから、それこそif文for文と対応するようなドキュメント否定してるんだろう

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん