2016-10-19

若者自殺にかこつけて自分の主張を押し付けようとするひとたち

若者自殺ニュースがあるたびに湧いて出てくる、「もう二度とこんな悲しいことが起こらないようにという大義名分をかかげて自分の主張を押し付けようとしてくるひとたち」

人の自死を利用してる卑しい行為だって気づいていないから、あんなにも堂々としていられる。

本来なら、「人が自死を選んだ。悲しい。ただただ悲しい」でいいはずなのに、そこからさらに踏み込んで「社会はこうあるべき、世の中はこうあるべき、じゃないと人が死ぬ。俺の主張は人が死ぬのを防いでやってる崇高な行為。という大義名分がある自分の主張の押し付け合い」が始まるのをみていつも悲しくなる。

そう言うと決まって「いやいや、尊い人の死をもってしてシステム警鐘があったのだから、そこは改善しないと。彼らの死を無駄にしないためにも」みたいな反論がある。それこそが大きな間違いだ。

間違ったこれによって得られる未来は、「自殺しようか迷っている人に対して、自殺によって社会をいい方向に変えられるという後押し」でしかない。

「人の自殺にかこつけて自分の主張を押し付けようとするひとたち」は、「人の自殺にかこつけて自分の主張を押し付けようとする害悪」のみならず、自殺しようか迷っているけどぎりぎり踏みとどまっている人の背中まで押してしまっている。この汚さに気づいていないから、あんなにも堂々としているのだろう。

君が自殺したら、悲しい。ただただ悲しい。君が死んでも、世の中なんてよくならないし、だからこそ、ただただ悲しいんだ。

人の自殺にかこつけて自分の主張を押し付けてよっているだけの声の大きい汚い人間のいうことに、どうか惑わされず、君の悲しみはみんなにとってのただただ悲しみの中にあるということを忘れないで。

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