2016-09-25

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.「言うは易く行うは難し」といわれますが、普遍的な例はありますか。

今すぐに思いついたのだと、二つあるかな

一つは、義務でも何でもない、「誰でも出来る簡単なことを『継続する』」こと。

継続は力なり」なんていう一見すると何てことな言葉格言足りえるのは、それが一般的に大変なことだからだ。

例えば、君がこの匿名ダイアリーで内容は何でもいいか日記投稿する。

これを気が向いた時々でいいのならばともかく、ほぼ毎日となると大分ツライだろう。

簡単であることと退屈であることは紙一重だからな。

そういうものは仮に最初は楽しめても、やり続ければ飽きやすい。

義務でもない、自分がやろうと思えばいつでもやれるということは、自分次第でいつでもやめられることだしな。

誰でも出来ることが、誰でもやり続けられるものとは限らないということだ。

だって一年以上このカテゴリ継続させていて、それなりに楽しんではいものの、それと同時にいつやめてもおかしくないと思っているからな。

Q.もう一つはなんですか。

えー、そうだなあ……。

もう一つは義務でも何でもない、「誰でもできる簡単なことを『我慢する』」ことだ。

特に、「外部からの影響によってもたらされる衝動」を我慢する。

まあ、「我慢する」とまではいかなくても、「関心を向けないようにする」だとか、「エネルギーを割かないにようにする」だとかでも構わないが。

例えば私だと、「シン・ゴジラ」だとか流行真っ只中の時期に、そのテーマで一切語らなかったことかな。

センセーショナルテーマというものは、「何かを語りたくなる衝動に駆られる」ものだろう?

知識教養がなくても、千差万別の人々が衝動に駆られて色々と語るから自分もその熱に煽られる。

他には、間抜けな内容が書かれたエントリや、挑発的な文章ブコメも何もせずリアクションをしないようにするだとか。

この衝動を克服するのは、実のところ成熟した大人でも難しい。

現に、観に行ってすらいないのに、「シン・ゴジラ」を語る人が多く出没することからも、影響力の高さが窺えるね。

周りを見渡しても「シン・ゴジラ」のテーマを扱ったエントリが目に付いていた。

そんな環境下で茶々の一つも入れない、ふざけてネタにすらしないって、とても困難なことだろう。

仮にそういう状態で語っても、まあそれなりの内容は書けるだろうけれど、衝動的なものからね。

頭は回っていて、理路整然とした文章だとしても、それは普段状態で書いたものとは性質が違うわけだ。

それはそれで、或いはそちらの方が面白い内容になる可能性もあるかもしれないが。

だが、そうやって動機自覚がないまま書くということは、それは自分が好きで書いた文章ではなくなる可能性を持つということだ。

自由意志のもと書いた筈のものが、自分が書きたい文章ではなくなるってのは私からすれば不本意なのでね(もちろん、これは私の言動に後から付け足した理由だが)。

おっと、客観的にみた是非だとか、そういうことは君が考えればいい。

いずれにしろ、「誰でも出来る簡単なことを『継続する』」、「誰でもできる簡単なことを『我慢する』」、これらは間違いなく「言うは易く行うは難し」だろう。

もし両立できる人間がいるとすれば、すさまじい精神力といえよう。

もちろん出来たからいって、その事柄自体が誇れることかどうかなんてこと私は知らんよ。

……そういえば、これもテーマを取り扱ったうちに入るんだろうか。

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