2016-08-04

シンゴジラのシン

ゴジラ映画のすべての概要

ゴジラが現れる→人間が知恵を絞って努力して平和が訪れる

この間に「あったこと」が映画になる。

シンゴジラはこれまであったけど省略したところをじっくり描きこれまでの映画であった人の生き死にやドラマをごく薄めにするという手法をとっている。

総理が死んで号泣する長谷川博己心配する妻をふりきって出て行く長谷川博己石原さとみと国を超えた愛に落ちる長谷川博己を描くことはできた。でも、シンゴジラではしなかった。

そのかわりにこれまでずっとあっさりと省略され続けていた法の解釈や人や道理世論を動かすための手順を描いた。その間にもゴジラ東京破壊活動を続けている。ギリギリ気持ち総理東京都内自衛隊への発砲許可を出した。

「こんなことしてる場合かよ」。若い閣僚ファイルをたくさん抱えながら愚痴る。いろいろなものが手枷足枷になり物語の進行を阻害する。その「いろいろなもの」がこれまでとちがうわけだ。

みているあいだ「アルマゲドン」(的な戦意高揚映画)だったら大統領が3秒で「やっちまえガイズ!」っていうところを40分かけてるなと思ったりした。

怪獣が現れ解決するまでを現実のこととして。

上記の話し合いのところも、人の生き死にも、同時にドラマとしてそこにある。

フランスのえらい人がおっしゃってたのを元ピチカート・ファイヴ小西康陽さんがおっしゃっていたのの受け売りなのですが「すべての創造編集である」と。

ポイントはどこをカットアンドペーストするか。どう編集するか。

庵野監督が「やりやがった」とある方のTwitterで称されたのは、実にそこだ。

オタクらが過去パロディバカ話で延々といってた「おれらがみたいマニアックなところに着眼点をおいたゴジラ」ってのをやってのけたんだ。

映画シン・ゴジラ公式サイト <http://shin-godzilla.jp/>

これらを裏付けるのが「脚本編集総監督 庵野秀明」と。

彼はこれまでのゴジラを「編集」したわけだ。そして描かれなかったところを拾い上げて描いてみた。

しかおもしろく。

これまでのゴジラ映画においても実は各人は物語の裏でこのような策略や話し合いなどを乗り越えてそこに立って作戦を実行しているんだと思いを馳せるとまた感慨もひとしおになる。

シンゴジラのシンとは新でも真でもなく芯だ。苦くて硬くて取り除いたりされがちな芯だけど、ゴジラオタク愛によりそれを美味しく調理した。それはかつて味わったことのないごちそうとなった。

そこに多くのゴジラファン特撮ファンが反応したのではないか

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