もやもやした。
よくある話なんだが、内容はこうだ。
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私は7ヶ月の妊婦。
電車に乗っていて、マタニティーマークも付けてるけど、みんな気付いているはずなのに、席を譲ってもらえない。
優先座席の前でも譲ってもらえない。
今まで譲って貰えたのは、5回くらいしかない。
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と、外国人風の妊婦らしき、ふくよかに見える女性と、電車に乗っている人々の写真を一緒に、日本語で投稿している。
それを前提に、私の考えを書いてみたい。
この妊婦の方が言っていること、つまり「どうして誰も妊婦である私に席を譲らないんだ?」は、何も間違っていない。
妊婦に席を譲れ。
多分、この妊婦の方が投稿した写真の中に映ってる人全員が、そうだと言うはずだ。
ただ、これは正義過ぎるんだよ。
この写真の中にいる全員が、仮にこの女性を100%妊婦だと確信した状態でも、尚座り続けていたのであれば、「この女性に席を譲れない」何かしらの理由があったのではないかと考える余地があってもよかったのではないか。
そもそも、妊婦だからといって、100%席に座れるなんて考えない方がいい。
この考えが寂しいって?
違うよ。
もしかしたら、妊婦の目の前で座っているこの女性も、見た目には分からないけど初期の妊婦かもしれない。
もしかしたら、妊婦の目の前で座っているこの男性も、見た目には分からないけれど体調が悪いかもしれない。
そうじゃない人もいるとして、
席を譲りたいって思ってる人は、たっくさんいるんだよ。
だけど、それを口に出せない、行動に移せない。
なぜかって。
それはとても勇気を必要とする行動だ、、、なんてもう過去に世界中で1000億人くらいの人が使ったフレーズだろうか。
でも本当に、勇気がいるんだもん。
多分、100人のうちの1人くらいしか持ってないのかもしれない。
もうしょうがない。
本当は譲りたくても、勇気が無くて心の中で「ごめんね」と呟きながら、座っているかもしれない。
または、「わたし妊婦なんで、早く席譲ってくださいよ」オーラを(出していようがいまいが)感じて、意地悪をした人も居たのかもしれない。
そんな人は、それを誤魔化す為にスマホをいじり、その日1日くらいは罪悪感を感じて過ごすだろう。
この投稿した妊婦の方は、今まで100人のうちの1人の勇気ある女性だったのでしょう。
自分以外の乗客全員が健康で、自分に席を譲るべき人間だと考えていたのでしょう。
その結果、この方のこの日、この時間、この場所で利用した電車内では、残念な結果になったまでの話だ。
それを、Facebookで大々的に投稿し、さも毎度毎度こんな感じです、ちょっと日本どうなったの?????
と言うのは、なんだか少し違うのではと。
まるで妊婦の代表かのように、こういうことを書く女性に、私は憤りを感じる。
こういうことを書く妊婦がいるから、上記の様に妊婦に意地でも席を譲ってやらないぞ、という考えを持ってしまう人が増えてしまうのも否めない。
私の妊娠中、確かに席を譲って貰えなかった車内もあった。
だけど、譲って貰えたことだってあった。
この女性は、席を譲って貰えなかったこの車内のエピソードと写真を世界に発信するのではなく、
譲って貰えたその5回の話を、5回とも書いて欲しい。
この5人の話をすれば、99%だった人達の中には「ああ、自分もやってみよう」と思う人が出てくるかもしれない。
席を譲って貰えないことなんて、妊婦に限らず、子連れの人、怪我をした人、病気の人、年老いた人、みんな経験している。
じゃあ、みんなその恨み辛みを書くの?
それ読んで、誰が喜ぶの?
そうじゃないんだって。
そんなこと言ったって、どうにもならないんだって。
譲ってもらえた時のことを、覚えておこうよ。
優しくしてもらえた時のことを、みんなに伝えようよ。
私は妊娠中や赤ちゃんを連れての移動中、他の方達から手を差し伸べてもらった時のことは、はっきり覚えてる。
過去の妊婦の酷い体験談を何件も読んだせいなのかな、涙が出る程嬉しかった。
そして私はその時に思った。
って。
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超回復「傷つくことを恐れるな」