ど田舎出身であるせいか、オッサンどもたちから「最近の女は我慢が足りない」という説教を何度も何度も繰り返しされてきた。
冗談じゃねーよ十分我慢してやってるだろうがと思っていたが、最近遠い親類の団塊世代ちょい上の女性と話してその理由がわかった気がしたのでここに書く。
その人は貧しい家庭で育って若い年齢で周囲の勧めで同じ地域の農家の嫁になった。
その農家もそんなに裕福ではなかったけど、嫁いでからしばらく「貧乏人の娘をもらってやった」みたいなネチネチはさんざんされてきたという。
その責任も当然その女性におしつけられて、「お前が世話をしろ」「他人にかけた迷惑はお前がきちんと始末しろ」と言われるなかで必死に子育てをしてきた。
その後結局3人の子供を産んだが、そんな家庭なので16歳で家出をしていくわ、暴力沙汰で少年院に入るわといろいろあったがその辺はここでは割愛する。
私は直接的にその女性とは関係がなかったのだけど、なにせど田舎なので噂は伝わってくるし親類ごとになると一応顔を合わせないといけない。
話を冒頭に戻すが、私がその女性と話すことになったのはそれまでさんざんその人をいびってきた舅と姑が亡くなった葬式の席でのことだ。
因果応報と言ってもいいか知らないが、舅と姑は突然の事故でほぼ同時に、そしてちょっと悲惨な方法で亡くなった。
これからも重度の障害を持った長男と長く生活をしていくことになる女性に対し、私は「大丈夫ですか?」と無責任な言葉をかけてしまった。
するとその人が言ったのは「普通の子育てをしていたら、私はきっと子供に対してこうなれ、ああなれと指図をする人間になっていたと思う。でもこの子はただ生きていくことだけを私が見守っていくことができる」という言葉だった。
正直周囲の噂もあってその人に対してあまり良い印象がなかったが、その言葉があまりにも悟ったようで自己嫌悪を覚えるくらいにショックを受けたんだ。
幸い舅と姑が亡くなったことで、家出をしていた娘から連絡があったりと家族の復縁の兆しが少し見えているとも言っていた。
こんな話を聞いて、そりゃ昔の女性は我慢強かったとしか言えないよと思った。
ていうかこんな我慢を当然にさせていたことにあぐらをかくことができていた時代はやっぱりおかしかったんだとも思った。
今はオッサンどもに「今の女は我慢が足りない」と言われても、「昔の女性が我慢をしてくれたから私達は意見を言える」とありがたい気持しか起きない。