管理人の日本人が、それぞれ1つずつのトイレと風呂を『日本人用』にしてしまった。
『日本人用』のトイレと風呂には鍵がかけられ、鍵を持っていないベトナム人は使えない。
通報した( https://www.jinken.go.jp/soudan/PC_AD/0101.html )。
著書『春宵十話』の「宗教について」というくだりに出てくる彼の言葉だ。
少し長いが引用する。
「太平洋戦争が始まったとき、私はその知らせを北海道で聞いた。その時とっさに、日本は滅びると思った。そうして戦時中はずっと研究の中に、つまり理性の世界に閉じこもって暮らした。ところが戦争が済んでみると、負けたけれども国は滅びなかった。そのかわり、これまで死なばもろともと誓い合っていた日本人どうしが、われがちにと食糧の奪い合いを始め、人の心はすさみ果てた。私にはこれがどうしても見ていられなくなり、自分の研究に閉じこもるという逃避の仕方ができなくなって救いを求めるようになった。生きるに生きられず、死ぬに死ねないという気持ちだった。これが私が宗教の門にはいった動機であった。(中略)戦争中を生き抜くためには理想だけで十分だったけれども、戦後を生き抜くためにはこれだけでは足りず、ぜひ宗教が必要だった。(中略)宗教はある、ないの問題ではなく、いる、いらないの問題だと思う」
見て見ぬふりができなくなり、救いを求めるような心持ちだ。
相手が神ならぬ"お上"というのがなんとも情けないが、他にあてはなかった。
必罰。