http://anond.hatelabo.jp/20151001133903
↑を受けて、なんとなく書きたくなったので、雑文失礼。
うちの会社も何だかんだで数百人規模で利益も億単位で出せるようになったので、若い経営者と飲んだりすると「成功の秘訣」みたいなことを聞かれることがあるんだが、正直なところ「これをやったから成功した」というよりは、幾度となく苦境が訪れたけど諦めずに続けていたら、気が付いたらそこそこ成功したと言っても良さそうな規模になっていた、というのが正直なところ。だからといって「成功したのは運が良かったから」というのはいくらなんでも謙遜しすぎて逆に嘘なので、じゃあなんだろうと考えると、やっぱり「忍耐」かなと。諦めないこと、投げ出さないこと。
必ずしも起業するのは大変でサラリーマンは楽だとは思わないけど、経営を続けるのは、特に組織を拡大させて維持させて食わせていく、というのは本当に辛いことが多い。一番メンタルをやられやすいのは赤字で会社がつぶれそうな時だけど、ある程度以上規模が大きくなると頻度の多さもあって人間関係まわりがメンタル負荷が一番高いように思う。幹部同士の対立、セクハラ対応、社員の不満の爆発、コアメンバーの離脱、などなど。人間関係の問題が発生しない月なんかほとんどない。もちろんその逆で「こいつと一緒に働けて、こいつが部下で本当に楽しい」というやつに巡り合うこともあるし、狙い通りに事業が上手くいったときの快感はハンパない嬉しさもあるけど、正直トータルとしてはストレスの方が大きいと思う。
だからこそ「そこそこ成功している経営者」って、このあたりのストレス/負担/痛みに慣れて鈍感になるか、常人には信じがたいメンタルHPの持ち主か、そもそも超自分勝手でストレスを感じないタイプか、どちらにせよ一個人としては人間性に問題があるとしか思えない人が多い。ただ人間性に問題を抱えて進めるのは「そこそこ成功」レベルまでのようで、ワタミしかりゼンショーしかりGREEしかり、やはりファンを作りにくく敵を増やすタイプの経営者は、どこかで必ず社会からしっぺ返しをくらって止まるので、突き抜けた成功者になると人格者比率が上がるっぽい。もっとも人格者を完璧に偽装できるようになった人格破綻者なのかもしれないが、完璧に偽装できていればもはやそれは本物と変わらないだろうし。
結局のところ、成功するための必要十分条件は「成功するまで続けること」以外には存在しないのですよ。
この2つの条件を満たす事業は「割と」成功しやすい、というのがあるんじゃないかと思っていて、1つはカワンゴ(ドワンゴ創業者の川上さん)が言ってることとだいたい被るんだけど、「よく分からない事業をやる」「自分ですら成功を確信できない事業をやる」こと。これは要するに、不確実性の低い市場では単純に戦力が強いものが勝つことが多くまぐれ勝ちが起きにくいので、弱小勢力たるベンチャー企業は、できるだけ「まぐれ勝ち」が発生しやすい不確実性の高い市場で勝負すべし、ということ。不確実性が低かろうが高かろうが、弱小会社の成功確率なんてどっちにしろ低いんだけど、参入する会社が10社しかいない市場で、極論勝率がランダムであれば、勝率10%もあるわけで。
そしてもう1つが、「独占・寡占が可能な事業をやる」こと。なんか経済学的な話ばっかりだけど、結局のところ利益の源泉は、素晴らしい社員でもなければ、優れたテクノロジーでもなく、素晴らしいプロダクトでもなく、独占なわけですよ。ソーシャルゲームがなぜ儲かるかと言えば、パズドラの「魔法石」をガンホーが「独占」しているからなわけですよ。独占価格で売れるから儲かる。カルテルのようなタイプの独占・寡占は独禁法で禁止されてるけど、ブランドによる市場細分化による独占とかF2Pを使った独占は真っ白な合法なわけで、合法的に「独占」が可能になる事業をやるべし。
これは大学の同級生とかでもそうなんだけど、大学卒業後1年目はだいたいどこの組織に就職したやつもペーペーなのが、卒業10年後・20年後・30年後と時間が経てばたつほど皆偉くなって、極端な例だと大企業のトップと官公庁のトップと○○大臣が大学からの知り合い、とかなるわけですよ。で、片方だけが偉いパターンはあまり役に立たないんだけど、お互いに偉くなればなるほど、「信用できる外部の有力者」が増えるわけです。
これはベンチャー企業にも言えて、10年前はお互いにマンションの一室でやってた他の起業家が、お互いに10年たつと上場企業の社長同士とか、もしくは提携していた大企業の担当係長が10年後は執行役員になってるとか、経営を長く続けていると「こちらを信用してくれる外部の有力者」がどんどん増えていくので、大きな事業提携とか資本調達とかが、本当に楽にできるようになる。なので、1つ1つの「偉くない人」「自分とタメor目下の人」との取引/人間関係で、横柄な態度を取らない、裏切る/嘘をつくような行動をとらない、ということの積み重ねが長いタイムスパンで見たときに本当に重要。
恩を仇で返してくるようなやつがいないわけじゃないけど、応報は割と人間行動の原則なので、特に今はショボイけど時間が経てば偉くなりそうな人には、大きな不利益にならない範囲で色々と恩を売っておくのが吉。ついでにいうと、ベンチャー業界だと真面目な話、誰が成功するか・誰が偉くなるかは本当に分からないので、とりあえず接する人全員に謙虚な態度をとっておくのが尚よし。
私が自分の容姿の悪さに気づいたのは小学校4.5年の頃だったと思う。
小さい頃の写真は笑顔全開で歯を見せてピースをしているのばかり。
インターネットをしていると自分の自撮りを載せている女の子たちが沢山いる。
私は無理だ、どう笑顔を作っても不細工。自分の顔を写真に収めたくない。
若い女の子の写真を見ると、写真に残したいって思えるなんていいなって思っちゃう。
私の体も心も疲れ果ててしまい
混んでる満員電車のなかようやく座席があき座ることが叶いました
ここからさらに1時間、少し眠れるなと限界だった体はすぐに寝息を立て始めました
次の駅につくまでの5分間
それが私に許された休息の時間です
スーツを着た中肉中背の二三十代の男が自分は障害者だからお前は立てどけ俺が座るからと、言いました
目の前の男は足が悪いらしいです
彼は障害者なのでだれも注意できません
わたしはただ吊革につかまったまま
まぶたが静かに落ちていくまで彼の醜い姿を恨めしそうに見ていました
実話です
アラサーになって、自分の性格の浅ましさや意地汚さに辟易しすぎて
毎日生きるのがつらい。
昔から生きづらさは感じてたけど、
多分、育ちが悪いってことだと思う。
自分はどちらかといえば裕福な育ちのほうだと思うけど、心が貧しい。
人の幸せを素直に喜べない、
人のアラばかり探して不幸を喜ぶ、
人を見下す、
家族同士でも足を引っ張り監視しあってる家だった。今もだけど。
そんな性格が最悪だと気付いて、
どんどん自分が嫌いになる。
さらに卑屈になる。
マシだったかもしれない。
子供産まない人=個人主義で遊び呆けてる人、というた発言を見た。発言者は子供いる人。自分が選んだ選択肢が、国家の方針と合致する正しいパパ。
少子化だから、多少の決めつけた発言したって、絶対的正義が守ってくれると思ってる、というか、心から信じてるんだろう。
その発言のツケを払うのは自分の子供世代だって、きっとわかってない。子供を産むと見えなくなるものもあるよ、っていう自覚が少しでもこの人にあるのだろうか。
自分が選ばなかった人生の選択肢は切り捨てて見えてない。狭い未来を子供に渡そうとしている自覚は確実にないのだろう。
私は子供にはもっと自由な未来をあげたい。その為に、相当数いる産みたい産めない人が産んで少子化が抑えられる社会にするか、少子化でも成り立つ社会にするためにお金や労力を捧げたい。
今回の事例では、本人が削除しているんですよね。
えっ、貴方は低能じゃないと信じてたんですが、違ったんですか!?
普通に生きてても面白いものなんてそうはないという悟りにも似た薄鈍い不安定な熱を全身の毛先でうっすらと感じながら騙し騙し過ごすことこそが人生だ。少なくとも俺にとってはそうだし、おそらく誰にだってそうだろう。
俺たちは、誰かが洗面器に張った物語に顔を沈めて目を見開いてみたりお金さえ払えば誰でも手が届く範囲の感情に冒険という名前をつけたりして熱さを手に入れようとする。呼吸を止めることと呼吸を忘れることは異義であり、本来俺は忘れたいのだ。
物語は嘘でもリアリティがあればそれが本分だが、興奮はリアルそのものでなければなんの意味もない。しかし世の中という存在はよく出来たもので、確固と成立してしまっている。
つまりそれはそこらじゅうに覆しようのない規則性が充満しているということであり、おそらくその意味もあって俺は呼吸を忘れたいのだと思う。すべてはあと付けの解釈なのだ。
実際のところ俺たちは、たった二割の酸素を七割もの窒素と残り一割のぐちゃぐちゃで希釈した世界を肺に吸いこんで生きている。
そんなものは偽物で、十割の酸素を吸って生きていたいんだというのは俺の理想だが、それをたしなめているのは純度百パーセントの酸素はイコール毒なのだという科学的事実だ。
その事実は、お前の理想はそもそもこの世の中に存在しない形而上的な言葉遊びの存在なのだとでも言いたげな様子で、そのお堅い現実に突き刺さっている。もちろん俺もそれに反論する気なんてない。
だがそれでも俺の無意識な肺が欲しているのは、ニコチンでも科学的快楽物質でも予定調和と野暮に満ちた生温かい蒸気でもなく、やはり十割の酸素なのだ。
気が狂うしかないのだろうか?
くんくん、ぺろり…こ、これはっ!
がんばれ、がんばれ