2015-09-26

自分阿呆であると知っていたはずだった。

しかし実のところは、並みの阿呆には気づけぬほど深い阿呆だった。


幼い頃から人と協調できず、知恵のない賢しさが毛羽立ち、

いじめられるかつまはじきにされるのがデフォだったにもかかわらず、

紆余曲折を経て縁と運で妻と出会い、今の職に就き、

子こそなけれど人並みに家を構え、

居酒屋のオーダーを金額で絞り込む必要がない程度には稼ぎがあり、

三流なりに稼ぎに恥じぬ程度の評価と成果は残し、

人に頼みにされ、それに応え、人の輪に迎えられ、言葉に耳を向けられ、

ああ、そうか、阿呆のくせに、なんだ、

俺はこの、このままに死ぬのだな、と思っていた。

不出来にしては上等の凡人生であり、

知恵の欠落した俺には本来望むべくもない安寧であり、

有り難いことこの上ないと思いつつも穏やかが当たり前の日々であり、

ここまで来れば退屈も味わい方次第よ、と

老いの心意気に至ったつもりでさえいた。


ただただしかし、やはり、確かに知恵はなかったのである

選び戦うことを、捨て争うことだと浅はかに合点し、

慎ましやかなりに奇跡であった楼閣の、たったひとつの支柱たる運を、

俺の才覚だと疑いもしなかったのである


明日が怖い。何があるでもない明日が、毎日恐ろしい。

阿呆なりにようやく、己の在るままの阿呆に気づいた俺には、

もはや次の二十四時間が常に神罰に思える。


阿呆に運は微笑まない。

フローチャートを望まぬ方、望まぬ方へと下り落ちながら、

朽ちよと蔑むその声が耳の奥に、低く這い回るのを感じながら、

俺はもはや何事も拒めない。

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