そういやある小説家が猟奇殺人もの書いて、時間を置いて読み直してみたら「なんて残酷なものを書いたんだろう」って思ったっていってたなー。
今ニートをしてるんだが、そこで思うのは「平日に働くような奴は人生のことを真剣に考えていないダメな奴」ということだ。
本気で人生のことを考えていたら平日に仕事のことを考えてる時間なんてないはずだし、平日に働いて稼いでいる人生に大した価値はないと思う。
自分が働いている間にニートや生活保護はどんどん税金を使って遊んでいる。マラソンの途中で「法律で決められてるから5分走ったら2分休みましょう」なんてやってたら絶対に負ける。仕事しながら休みを取るのってそれと全く同じ事なのに、なんで世間の人達は平気で休んでやれ旅行やらショッピングやらしょうもないことに時間を費やすのだろう。理解出来ない。
とあるエントリーのブクマ見て俺があらゆるスポーツ観戦に興味を持てない理由がわかったわ。
俺は生まれつきのスポーツ音痴で運動の恐ろしく下手な人間の動きしか知らない。
だから投げられたボールを打つとか横から飛んできたボールをゴールへ蹴るなんて動作もちょっと運動が得意な奴なら簡単に出来るけど俺には出来ないって所で「感覚」が止まってるんだ。
だからスポーツ選手がやってるあらゆる動きが「運動神経のいい奴ならこれぐらい簡単なんだろうなー」としか思えないんだよ。
元から運動できる人は「すげーあんなの俺には絶対できねぇ!」で興奮するんだろうけど、俺は「ふーん。あんなの俺には絶対できねー……(でもこれぐらい皆は出来るんでしょ?)」と冷めちまうんだよ。
運動嫌いで運動苦手でもスポーツ好きな人もいるだろって反論もあるだろうけど、彼らはある程度スポーツを観戦してきた結果どれぐらいがプロから見ても凄いのかの感覚を掴んでるんだと思うんだよね。
そのときに興味はないけど付き合いや話題に付いて行くためにとりあえず数試合見ようかなってする。
そういう場合って大抵どこもかしこもその情報で溢れてるから素人でも何となく「この選手の動きが飛び抜けてるらしい」「ここでこうなると嬉しいらしい」ってのが教えてもらえるんだよ自然と。
だから画面のどこを見たらいいのかが分かって少しずつ「何が凄いのか」の感覚が染みこんできて普通に楽しめるようになってくるわけ。
他にも野球ゲームやサッカーゲームといった簡単な所で大まかな所を掴んだりとかのパターンもあるね。
そういった「感覚を身につける機会に恵まれている」ってのがメジャースポーツの強みなんだろうね。
でも俺ぐらい運動が下手でそのうえスポーツ系の人間にトラウマを持ってるような奴は、そこまでされてもまだスポーツ観戦を楽しめないんだけどね。
だってサッカーしてるような奴らが持て囃されてるってだけでムカつくんだもの。
まあ想像に任せるよ
金も払わない、介護もしない、その上で支援する人間からの連絡をスルーをするなら縁を切れと書いたわけだが?
福祉の仕事なり介護の仕事をしている人は見知らぬ老人の世話をすることでおまんまを食ってるんだろ。
つまりお金をもらっている。
子供が世話をしないからその介護職の人たちの仕事があるとも言える。
負担をかけてる、とは言うが、負担をおうのは当たり前だろう。それがお前の仕事だよ。
普通だったら「両親は美男美女なのに、私は隔世遺伝?どっちにも似なかったんだよねw」とか
軽い自虐でフォローするところだけど、そうしないってコトはそう言いたいんだろう。
●美人と金持ちの人格は軽視されがち - はてこはときどき外に出る
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2015/08/17/142351
●はてなブックマーク - 美人と金持ちの人格は軽視されがち - はてこはときどき外に出る
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「美人は興味ない男のあしらい方、世渡りを身に着けなきゃで大変なんすよ、モウ」みたいな論旨。
そうは言っても
「じゃあ異性に全く相手にされないような不細工と体を入れ替えてあげる」と言われたり
「モテカースト最下層の外見に生まれたかったのか」と言われたら
速攻で「NO」と答えるんだろう。
京都の彼が似たようなコト言ってた覚えがあるが。
ある意味とても良く出来ていると思う
学歴はそこそこ高いがそれを必要以上に誇っている、凝り固まった偏見が垣間見える知人
それでも友人づきあいする分には温厚なよい友人だと付き合ってきた
これを書いたのが私の知人だとしたら、私は彼の人格から知性から何も信じられなくなる
そういう文章だ
彼でないことを祈るばかりだ
家族を持てばまた考えも変わるだろう。
まんぼろん
自分の親の話。
母親は車で十分程度のところに実親が住んでいたが、見舞いに行ったのは危篤になってから。
一人娘だったので母親がやらなければ誰もやらないのだが、介護は何もしていなかった。
たまにヘルパーさんから電話が来ていたようだけが、全く返事をしていなかった。
父親には弟がいて、弟と弟嫁は良い人だったので同じく新幹線で三時間のところをほぼ毎週帰省したり、病状が悪化してからは夫婦でほぼ一週間づつ泊まり込みしたりしてとても甲斐甲斐しく世話をしていた。
一方父親は弟から金銭支援を求められても、親に顔が見たいと言われても同じく危篤になるまで見に行かなかった。
両親はお金や時間がなかったわけでも何でもなく、父親は仕事も普通にしていたし、少し休暇が取れれば夫婦で海外旅行に出たりしていた。
介護費用の支援については全て断ってたが、自分の遊びのためには惜しまずお金を使っていた。
そんな父親と母親の言い分は、「子育てなら未来があるけど、これから死ぬ人を世話して何になるの?自分のためになるの?利益になるの?社会に役立つの?時間の無駄だから死ぬ人の世話なんてしたくない」だった。
実親ながら割り切った考え方する人たちだなと実娘ながら思う。
私は結婚して実家から車で五分のところに住んでいるが、ほとんど親に会うこともない。
自分自身の生活に何かプラスを及ぼすこともないし、そんな暇があったら旦那と旅行するなり、日々の仕事の疲れを取りたいからだ。
私に子供でもいれば親に面倒見てもらうとかの利害関係もあるが、選択子無しなので関係がない。
そう、結局私もおんなじなんだ。
世の中には介護で悩んで鬱になる人がいるそうだが、彼らはブラック企業に食いつぶされて鬱になったり自殺する人たちより理解不能だ。
ブラック企業は結局働かないと生活できないという観念で、職場から逃げられなくなってしまうのだろうけど、
親の介護なんていくらでも逃げられるのだ。
ブラック企業は薄給とはいえお金をくれるが、親の介護をしたってお金は入ってこない。
死んでいく人を看取るだけの介護に、逃げられるのに縛られる人というのは理解できない存在だ。
逃げればいい。
子供に助けられないと生きられない生き物なんて、野垂れ死にで十分なんだ。
http://tonarinoyj.jp/manga/shinsotsu/13/
この新卒七不思議って漫画、この人働いたこと無いんじゃないのってくらいリアリティがないんだけど
吐きそうになるのに何で読むかって?
得した気分になるからだよ!
どこにでもあるし、もう散々言われたような話。
ひとつは、そこの住民も普通に消費しており、気がつけば名物の座にのぼりつめていたもの。
そしてもうひとつ、土産の定番のように言われているが、当の地元民はわざわざ買ったりしないもの。
私の地元でも、両者は割とはっきり区別されている。後者は観光ガイドやらでやたらとプッシュされているが、
地元民はそこで紹介されているような店へは行かない。
そういうとこは得てして観光地価格であり、どうしても食べるにしても、安くてうまい店が他にあるからだ。
よくは知らないが、修学旅行で行った京都の八つ橋なんかもきっと後者のパターンで、
あの街中にやたらといた店主さんも、腹ん中じゃ