まあ、努力はした。その努力が、何のためになるのかは分からないが。一応自分がワンランク上に行くために勉強した。
しかし、どこまで行っても別にたいしたもんでもなさそうなので、意味なんか無いと思うんだけど。
無為に一日を送ったではなく、一応将来のやらなきゃいけない負担を減らした。
多分、あんまり良くない精神状態だし、あんまり未来も明るくないし。だけど、まあその内自分のターンも来るから、職場と自宅の往復を細くてもつなげておく。
はたして、意味なんか無いんだろうけどさ。
死んでもいいとは思うけど、家族もいるし、一応寿命まで生きるっていう選択でいいと思ってるなあ、と帰り道に思った。特に暗くも無い。
この世はあとは耐えゲーで、お勤めを終えたら何もかもこの世に返して裸で死んでいくんだけど。裸で生まれたし、そんなもんだと思ってるけど。
とりあえず、そういう無意味なんだよな、っていう心持ちで、心にストレスをかけないように、とりあえず作業的に、今日生きる意味を刻んだ。
週間目標や、月間目標もあるし、年間目標もあるし、だいたいそれに準じて生きている。
そういう意味を刻んでるってのは、どこの企業や個人でもあるだろうし、その歴史にはたして意味があるのかも了解できないんだけどさ。
あまりにも自分の人生は無意味なんだけど、こんなもんかなって寂寥感っていうか、寂寥感から寂しさが抜けて、ただ化石ってか、植物が現実を見てるみたいってか。
解離障害ではないけど、多重人格みたいな。統合失調症でもない。
つい最近、知り合いの精神科の先生に相談しても、なんも問題なしだった。
今日生きる意味を刻んだし、明日も刻むし、そこには進歩っていうか、まあ、生きてる中でのデューティーっていうかな。
やらなきゃいけないものを責任もってやるっていうそういう感覚があって。それをコツコツこなすって感覚がある。
知識が増えるので、まあ今後の人生はそういう知識を持ったまた新たな人生になるのかなって。知識があれば見える世界も違うし、優秀な成績で資格をとれば、また世界が違うのかなってのも思うし。
だけど、過去はもう取り返しがつかなし、自分のたかっていうか、その限界みたいなところはもう自動的に決まっているし。
そういう中で、モルモットが檻から出られないように、一生を過ごすのかなっていう寂寥感から寂しさぬいた、そういう気持ちがいっぱい。