永遠に生きる、とかそんな極端なことを考えるんじゃなくて、
最近、とある国民的人気グループからAV女優が生まれた。私は未見ながら、本番はもちろんなかなかに過激なプレイも披露しているとのことである。
気になるのは、その子を応援していたファンの気持ちだ。アイドルとして拝み、およそ少なくないお金をつかい、彼女がスターダムにのし上がる日を夢見ていた彼らは何を思うのか。ビデオは観るのだろうか。その実際は、私のような凡人には想像すら及ばないものだった。
この作品はつまらない、擬似である、観るに値しないという評価をつけ、多くの人の目に触れることを防いでいるのである。
なんという愛情だろうか。私はこれまで生きてきて、これほど深い愛に触れたことはない。アイドルとそのファンを結びつける愛情とは、もはや男女間のそれをはるかに超越し、親と子の情愛にほど近い性質を帯びるのである。
多くの人が、気持ち悪い、情けないと切って捨てるだろう。そんな人には、あなたはそれほどまでに人を愛したことがあるかと問いたい。宮沢りえのヌード写真集が出た際、あまりの衝撃に泣きながら自慰をした自分には辿りつけない境地であるように思える。
とりあえず、価格がもう少し下がったら観ることにしよう。
猫を2匹飼っている。五感の全てで2匹を区別できるようになりたい。
○視覚:これは最初から区別可能。模様も体格も違うので見間違えることはない。
○聴覚:これも簡単。片方はピョーって感じに鳴いて、もう片方はフェーって感じの鳴き声。
○触覚:最初はこれはできなかったが、今はわかるようになった。毛がちょっとゴワついてる方と、フワフワの方。
○味覚…はさすがにヤバいので、重さ:華奢な方とずっしりした方で区別できる。
○嗅覚:これが難しい。微妙に匂いが違うような気もするんだが、目をつぶってどっちか当てるのはできない。練習すればできるようになるだろうか。
それ、人生の隘路だと思うんだよな。
酒のんでふらふらしてたら、2時間ぐらいずっと同じ場所でスマホいじってる娘がいた。 友達と別れたあと声かけに行ったんだけど、すごく緊張してて怖い人になってしまいおびえられて、そのまま逃げかえってしまった。
大学も院まで出てこの会社に就職したが,「院まで出てここか…」と言われること一度や二度ならず。
野球好きで地元志向の人間が多い,所謂マイルドヤンキー的人間が多い人間関係に辟易。
耐えられないと思い抜けだそうと数年間も四苦八苦してきたがうまくいかず。
とは言え,自分自身も大して頭が良い訳ではない。
むしろ知識が使えない仕事は苦手な部類。身の丈に合った就職先であるとは思われる。
また,大学もランク的には大したこと無いが,見た目の学歴だけは悪くないので,人事上優遇されている感はあり,
このまま何事も無ければ,順調に出世し,安穏とした人生を終える見込みはある。
もし,この悩みを他人から打ち明けられたら,このままここにいることを勧めると思う。
しかし一方で,冒頭の理由や,院まで出たつまらないプライドによって,自分はここにいて良いのかという,不安感や焦燥感に苛まれる日々だ。
少なくとも自分は勉強を頑張ってきた時期はあったし,そのために我慢もしてきた。
だから報われなくてはいけない,というのは幼稚な考えだというのは理解しているが,感情の根底にある自尊心や,人間関係のミスマッチが
どうしてもそれを納得させてくれない。これが自分の今までの人生の答えということを受け入れることが出来ない。
でも,もうそれを数年やってきて,若い時間を無駄に費やしていることに疑問を感じてきた。
どうすればいいのか…最近身を固める友人も少なくない。
いっそ受け入れてしまえと思えないのが苦しい。
私は南の方の出身で、方言がひどかった。何せ、戦争中に暗号として使われた方言である。でも、18年そこにいたから方言がスタンダードで、逆に標準語が恥ずかしかった。
大学入学を機に上京して、最初のうちは方言で喋っていたのだけど、大阪出身の先輩に「お前の方言ってなんか、やばいわ。めっちゃ訛ってるし」って大阪弁で言われた。ムカーっときて、言い返したかったけど、確かに私の言葉は田舎くさく感じた。それから、必死で方言を強制した。アナウンサースクールのようなものに通ったり、テレビを見たら出演者のイントネーションを全てまねてみたり。2年くらいたってようやく、方言はでなくなった。今では、ほぼ標準語。
「親」と「社会」とか「罪」と「迷惑」とかやたらでてくるけど、
あなた個人の、自分の親への「生かしてくれてありがとう」という感謝と「障害を持って生まれて申し訳ない」という罪悪感と「なぜ自分を生かしたのか」というある種の憎しみや恨みを、「障害者」が「社会に迷惑」という大きな主語でごまかして、ごちゃ混ぜにしてるだけなんじゃないの?
そうでなければ、
「生まれてくるべきかどうか」をもし決めれるならば、死んだ後にしか評価はできなくない?
健常者だけど、テロとかを起こしてめちゃくちゃ社会に損害を与えた人も、
障害者だけど、めちゃくちゃ社会に益を与えてる例えば乙武みたいな人とかもいるわけじゃん。
何もできなかったと思ったけど、死ぬ直前にすごい発明をして社会がよくなる可能性とかゼロではないわけじゃん。
障害者だからこそ生まれる発想とかってゼロなのかな?それがあるかどうか分からないけど、ないことは証明できないよね?
もうほんとになにもできないまま死んだけど、脳死だったから他の重い病気の人に健康な臓器を分けることができたなら、それけっこうよくない?
というか生物学的には先天性の障害者は多様性において、つまり人類という社会の存続においてとても重要な存在と聞いたことがあるけどね。
今日本で食べられてる稲とかは、美味しさとかを追求してそのかわり、一つの病気が流行るとほぼ全滅するらしいね。
そもそももし罪があるとすればあなたを生んだ親に罪がいくはずじゃない?
べつにあなたが卵子と精子のときに「神様お願いします障害者に生まれて社会に迷惑をかけたいんです」と願ったわけじゃないよね?
例えば、科学者が殺人ロボットをつくって何百人か殺したとして、罪を受けるのは科学者のほうであってロボットはむしろ被害者じゃね?
まあこれは冗談で、罪になるには「そうしない選択肢があってそれを選択可能だったにもかかわらず罪であるほうを選んだ」ときに罪になるんで、ほら例えば正当防衛とか無罪になったりするじゃん?
なら最初から選択肢のなかったあなたの親も、あなたも、罪ではないだろ?
障害者がゼロで、社会通念上受け入れがたい意識を持った人間がゼロの社会って、いわゆるディストピアだと思うんだけど。
コストパフォーマンスや「よりよいもの」をあまりに希求すると、
「優生学」という人類史の汚点の二の舞を踏むことになるから、あまりおすすめできないね。
障害者がコストがかかるから生まれるべきでないなら、食事のコストがよりかかる肥満体質の遺伝子を持った人間もまた生まれるべきでない?
白人と黒人と黄色人とどれが一番コスパがいいんだ?女と男なら?身長は高い方がいい?低い方がいい?血液型は?目の色は?
「道徳の話」だというなら「○○だから生まれるべきでない」という主張こそ、まさに非道徳的でないかい?
そうすると視力の悪い人間は視力障害者という扱いになるわけよ。
でも今の社会は違うよね?メガネがあるから障害者とは扱われてない。
今パワードスーツとか開発されてるけど、あれがもっと進化すれば、腕や足が一本なくなったくらいでは障害者と呼ばれなくなるかもね。
いや、そもそも健常者でさえも、生まれてくるべきかどうかと言われると答えることはできないのでない?
どうせ誰がめちゃくちゃすごい発明しようが、テロで何百人か殺そうが、人類滅亡したら全部ゼロなわけよ。
何億年後かにはあなたの持ってる障害も、アインシュタインの相対性理論も全部等しく無価値なわけよ。
例えば日本の平安時代は女の人はおかめ顏が美人だったらしいよね。
現代でも、場所が違えば南米だと太ってれば太ってるほどモテるんだっけ?
殺人が好きな人も、戦時中に兵士として生まれれば英雄扱いかもね?
場所といえば、アフリカとかの一部民族では、障害者は神の使いとして崇拝の対象になるらしいね。
もしあなたがそこで生まれてきてたなら、むしろ健常者が生まれてきてなくてよかったねになったかもね。
なので「必要かどうか」という価値の問題はその社会の時代や場所にめちゃくちゃ影響を受けるし、つまり「障害者は生れてくるべきでない」と結論づけることなんてそもそも不可能なんじゃね?
メガネの下りでも書いたように、「障害者」というくくりがまず決まってないんだから。
「マーサズ・ヴィンヤード島」という島があって、その隔離された島では昔、他の社会より耳の聞こえないろう者が多かったんだって。
そのころのその島では、ろう者は障害者という扱いではなかったらしい。
耳の聞こえる人も聞こえない人も全員手話を使って話してた。聞こえる人同士だともちろん英語は使うけどね。
つまりそのころのこの島では生まれつき耳が聞こえないというのは、個性程度のものだったらしい。
それによって特に不利益を被ることはなかったし、障害者というレッテルを貼られることも、自分を障害者だと思うこともなかった。
つまりだよ。障害者を障害者にしているのは、あなたのその障害ではなく、その障害を障害だと決める社会のほうなんだよ。
だから、あなたが障害者になっているのは、不完全な社会のせいなんだ。