関係ないかも知れないけど同性が乳をジロジロ見てきたら何って思うの
ライブの感想をつぶやくと本人や周辺のファンにリツイートされて、
またライブに行ってその人とつながるようになって、自分のアカウントをさらしてしまったのが運の尽き。
知り合いが知り合いを呼び今に至る。
絶望感に苛まれながら、リンクをたどりふと思い出したこのSNS。
何だここは。最高じゃないか。
かなり昔に試しで書いたエントリーが残ってた。どうでもいいことを3行ほど。書いたことさえ忘れていた。
今見ると各メディアでの共有が数件づつ。
嬉しい。
多少の自己顕示欲は満たしつつ、好きなことや嫌いなことをダラダラ書きなぐれる。まさに理想。
多分、哀愁じみたことが多くなるんだろう。(僕はそろそろ30です。)
誰でもない誰か(ほぼほぼ自分)に宛てる文章は文体が似てくるんだななぁ。(かっこ使いと文末がなぁになりがちなのはどこかに影響された俺の癖。(きっとありがち))
4年前あまりにひどすぎるリニューアルをして、しかも元々評判の良かった旧版を使用できなくして、ユーザーのあいだで大騒ぎになった某メールーサービスがある。
4年前のときは最終的に旧に戻すというある種の英断を行なった。人間間違いを認めるのは大変なことだからね。しかしなかなか認めなかったんだこの会社は。こっちは悪くないお前たちが悪いと。最終的には認めて戻したわけだけど。
そして今年に入って、とうとうまたリニューアル&旧版廃止をしてきたのだ!
で、さっそくの使用感としては、前のリニューアルのときほどはひどくない、が、そんなによくもない。
色々いじって、旧版に近い感じのレイアウトにしてみたら多少良くなった。
しかし4年前と同じく「余計なことすんなよ!」感は相変らず…。元が非常に軽くてシンプルでよかったのに。
とりあえず
・上の「件名」「受信時間」などの項目名と、実際にその下の表示される内容の位置がずれてる
・メールを全て選択して一気に既読にする方法がわかりずらい。最初はなくなったのかと思って憤慨していたが、「受信箱」の項目を右クリックすると出てくる
・メール一覧のフォントが小さいので、大きくする方法を探したらなんとか見つけたんだけど、フォントを大きくしても、行間が開かないのでぎゅうぎゅうになってしまい見にくい
けっこう前からリニューアルします!宣言してたのに、こんな初歩的なミス(特に項目名と表示がずれること)をしてるんだもんな…。
こっちは毎月かね払ってるんだからさ、ちゃんとやろうぜ、な?
リンクを張るのが面倒なのでこの人の最新記事を読んで貰えればわかる。
こういう部分で見て取れる。例えばここは「という選択をするわけ」で済む文章なのに
問題回避行動なんて言葉は必要ないし、そもそもこれは個人的な話だし採用じゃなく選択が正しい。
俺はちきりんという人を好きでも嫌いでもないけど記事を書くたびにウザいだなんだと目にするのは
上に書いたような部分が癪に障るんだろうなと感じた。
川崎のさいはてから、渋谷区(職場がある)に引っ越したら家賃が2万上がったけど快適すぎてワロタ。
それを出そうが隠そうが、ほとんどは単なるファッションなわけですよ。
なぜいちいち、男目線を考えて服装を選ばなきゃならないわけ?
それを「出す方が悪い!」とか言っちゃう、真面目にw
なぜ、不祥事の対応は500円なのか。-エディオンからクオカードが届きました。
http://bobcoffee.0012.org/entry/2015/01/10/170624
2014年12月28日に2ちゃんねるのニュース速報板を見ていた所
タイガーの電気ポットとく子さんが780円で売られてるとのスレを発見した。
【乞食速報】 ジャーポットが税込み780円!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! - デスクトップ2ch
http://desktop2ch.tv/news/1419773599/
この値段ならいいかなと買ってみたわけですが
その後、値段の付け間違えとのメールであり、
お客様にはお手数をお掛けしたので
が500円分送りますという事が書かれていた。
値付間違いの時はキャンセルできるという規約があるにも関わらずである。
〈写真〉
今回に関しては只々平謝りで規約をに従ってキャンセルさせていただきます。
というような内容であれば問題なかったはずで
実際にネットショップの多くでは丸紅PC騒動後規約面で対応が強化されて
謝罪文と規約に沿ってキャンセルとさせていただくというメールが来るだけである。
参考
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2003/1105/marubeni.htm
【セキュリティ ニュース】ベスト電器、価格誤表記で金券送付:Security NEXT
http://www.security-next.com/002046
エディオンの件でいえば
で販売を行っていてサイトごとに購入した人に
500円のクオカードが送られたということになると
3サイト同時購入で1500円のクオカードが送られたことになる。
注文が全部で200件あったとして10万円と送料と人件費を含めると
軽く20万円近くは掛かっているだろう。
ではなぜ、今回はクオカードが送られてきたのだろうか。
第一の目標として行われている可能性が高い。
〈写真〉
などが参画してできたブランドなので
他の家電量販店より実店舗への影響を重く受け止めた結果ではないかとも思われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%B3
アクリフーズの農薬混入事件でのメーカーに直接送ると商品回収時に
この件に関してもそんな金額が出せるなら
従業員の待遇をよく出来なかったのかと思う消費者もいるだろう。
(リコール保険に入ってたから痛くないということかもしれない。)
一方、500円では安すぎんじゃないかというのはベネッセの件である。
微妙なバランス:ベネッセおわび なぜ「500円」なのか? (1/2) - Business Media 誠
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1409/16/news039.html
被害にあった子供の親の目線で考えれば納得できるものではない。
しかし、なぜ500円なのか。
発送時に現金を送ると現金書留にする必要がありコストが増すこと、
ギフト券を受け取ったことによって賠償に同意したと受け取れるという理由付けや
相手が言い出す前に金銭的に謝罪し
心理的に裁判などの行動に起こさせにくいようにするという
ガングロみたいのが「男にモテようなんておもってねーよw」って言ってたら納得だけど、つい男が見てしまうようなセクシーな服装をしてる女は男目線からみたら自分がどう見えるかぜったい自覚あるよな。
それで「男の人に見せるためにやってるんじゃないんです」とか、カマトトにもほどもあるだろって感じだわな。
恐ろしいほどの腰痛を発症し、超強力な痛み止めを飲むことになった
それは神経に作用し、神経の働きを鈍くすることで痛みの信号をなくすようにする薬だった
薬を飲むと急激な眠気におそわれるので、強い薬であることはなんとなく理解できた
ある日、どうしてもオナニーがしたくなってしまい、薬を飲んですぐはじめたところとても変だった
薬は寝る前に飲まなければならず、私のオナニータイムもまた寝る前と決めているので仕方なかったのだ
とても奇妙な感覚に襲われた
全体的にいつもと変わらないのだが、頭が妙に冷静で、熱い体とは全く別みたいだった
私は股間を触って興奮しながら、安部総理の討論や、物理学のことを夢中でずっと考えていた
途中で気づいてから美女の裸を妄想するよう務めたが、ダメだった
ついに私は宇宙物理学のことを考えながら果てた
ファッション誌見れば分かるだろ。
セクシーじゃなきゃ胸とか強調しないんだよ。
男であれ女であれ異性の視線を前提としないセクシーなんてありえないという話。
そもそも「ファッション」と「異性受け」は切っても切り離せない関係だろ?
これもファッション誌見れば分かること。
※追記:文中で人間違いを行うという致命的なミスを行ってしまいました。James Faronという方に触れていますが、正しくはFrantz Fanonです。当該箇所でも追記しております。混乱を招いたことをお詫び申し上げます。なお、お恥ずかしいことにJames Faronという名前も、正しくはJames Fearonです。彼もまた有名な政治学者です。
※追記3:最後にほんの少しだけ加筆。本件で真に掲げるべき標語について。
※追記4:ブコメに対する返信をトラバに追加。及びブコメで指摘された誤訳について修正。
※追記5:反応が非常に多いのですが、私の意図していることがあまり伝わっていないようなので、別エントリで行ったブコメへの返信の一部を載せます。また、追記3における本文での誤字も修正しました。ご指摘ありがとうございます。
フランスではJe suis charlie、和訳すると『私たちはシャルリー(・エブド)だ(追記4:私はシャルリー(・エブド)だ、が正しい訳です。Jeは一人称単数です。失礼いたしました。)』というスローガンが、あの凄惨なテロ事件以来掲げられている。
言うまでもなく、表現の自由を守るための決意を示すものであるが、果たしてこのスローガンは本当に正しいものなのだろうか。この増田では、出版社及びフランスにおけるイスラム教徒事情を軽く見た後、このスローガンの妥当性を考えていきたい。
今回の事件の舞台となったCharlie Hebdo(以下シャルリー)は、あらゆる権威に対して痛烈な風刺を行ってきた新聞社である。キリスト教はもちろん、政治家も政府もその風刺の対象であり、語弊を恐れずに言えば無政府主義・反権威主義をラディカルに突き詰めた、非常に極端な新聞社である。そもそもの母体はhara-kiriと呼ばれる名前がまたアレな新聞だったが、当時の大統領であるド・ゴールを風刺して、最終的には取り潰されたくらいには、徹底的なスタンスを貫いてきた人々である(ちなみに、どうでもいい情報だが今の名前はスヌーピーのチャーリーから来ている)。
ヨーロッパはそもそもイスラム教徒が多い。理由は実に簡単で、第二次大戦後の経済復興のために、大量の単純労働者を必要とした際に、イスラーム系移民が多く渡ってきたからだ。フランスのお隣のドイツはトルコから移民を受け入れ、フランスはかつての植民地であったアルジェリアを中心に移民を受け入れた。実はこの段階ですでに現代におけるイスラム系移民問題の種は芽吹いていた。
まず、ドイツは純粋に経済復興のためにトルコ系移民を受け入れていた。このことはトルコ政府との間で結ばれた雇用双務協定や、Gastarbeiter――和訳すればゲスト労働者――という単語にも表れている。結果的にはトルコ系移民は切り捨てることはできなかったが、少なくともドイツ政府はトルコ系移民に関して割り切って考えていた。選挙権の付与といった定住化につながる政策に関して恐ろしく消極的だったし、本国へ返そうという意思は逆にかなり強かった。逆に移民側も最初から、自分たちは望まれていないということも分かっていた。もちろん、だからこそのデモや権利を要求する運動などは起こったが、他方で移民の中でも自主的な集まりを作ったり、1970年代には支援団体も作られたし、トルコ本国もトルコ系移民への支援を後に行うようになった。また、コール政権以降、政府も重要な問題として認知するようになった。今でも衝突は絶えないが、フランスのように致命的な暴動は起きていない(今後起きることは否定できないが)。
一方のフランスの移民政策は、経済復興だけではなく、植民地政策の遺産という側面も有していた。イギリスの脱植民地政策及び戦後移民政策と比較すれば分かるが、お世辞にもフランスはよくやれたとは言えない。フランスは住居の確保を行う、あるいはフランス国民と同化させるための種々の政策などを見ると、一応の脱植民地化政策/移民を受け入れようとしていた、というように見えるが、他方で石油危機時には移民を切り捨てようとしたり、またフランス国民との同化を謳っていながら実際には移民は疎外化(James Faronによる論考はこうした矛盾を見事に描き切っていると考える※追記:James Faronではなく、Frantz Fanonです。大変申し訳ございません)されたりと、実体を見ればどうにも政策の焦点がぼやけていた。そもそもの、アルジェリア戦争を始めとした、ド・ゴール政権による一連の植民地関連政策を見ればその曖昧さはより分かるところである。
そうしたフランス社会において、移民は、はっきり言ってアイデンティティに関して隣国ドイツのトルコ系移民以上に大きな問題を有している。フランスの移民の大多数は底辺層であり、底辺層は大体移民である。そして移民のほとんどはイスラム教圏から来た人々であり、既に二世、三世になっている。フランス社会ではフランス人に同化させられるのに実際には同化されていないどころか異質な存在として見られるし、アルジェリアといった自らのルーツであるはずの国は、二世、三世にとってはあまりにも遠すぎる社会である。自らの居場所を見つけられない彼らが何にすがるかと言えば、それはもう彼らの宗教であるところのイスラム教しかない。そこにしか自らの居場所を見いだせないのである。
そんな中で自らの居場所であるイスラム教をバカにするような、それもヘイトスピーチ同然な言論を行うことが、どれほど彼・彼女たちにとっては辛いことか。確かに、シャルリーはイスラム教徒ではなく、イスラム教を風刺した。しかしながら、実体的には、ユダヤ教(ユダヤ教とユダヤ人はほぼ同一)を揶揄する、いや、ヘイトスピーチを行ってるも同然なのだ。イスラム教を風刺しているが、実際にはフランス社会の底辺層に多くいる、自らのアイデンティティをイスラム教でしか確立できない移民を、憎悪をもってペンで攻撃したにも等しいのである。
私は今回のテロは決して許されない行為であると考える。だが、だからといって、言論の自由を守ろう、という意味を下敷きにおいて「私たちはシャルリーである」と言うのはおかしいのではないか。
「テロ行為の是非」と「シャルリーによる風刺の是非」は全くの別物である。繰り返しになるが、テロは決して許してはならないが、同時に、特にヨーロッパにおいて、シャルリーのようなヘイトスピーチも決して許してはならない。
"Je suis charlie"は言論の自由をabuseする卑怯な標語である。
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※追記2
多くの反響を受けて驚いてる。なので、次のことを言うと多くの批判を浴びるだろうが、あえて言おう。
はっきり言って、今回の標語は、黒人に対してレイシストスピーチを行ったKKKがテロを受けたときに私たちはKKKだ、ユダヤ人に対してレイシストスピーチを行ったネオナチ団体がテロを受けたときに私たちはネオナチだ、そして、これも極端な話、在日に対してヘイトスピーチを繰り返し行ってる在特会がテロを受けたときに、私たちは在特会だ、と言ってるも同然な話なのだ。
表現の自由を守るための標語として、特にヨーロッパにおいて、これ以上ふさわしくないものはない。
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※追記3
https://twitter.com/aboujahjah/status/553169081424420864
I am not Charlie, I am Ahmed the dead cop. Charlie ridiculed my faith and culture and I died defending his right to do so. #JesuisAhmed
直訳すると、
「私はシャルリーではない、私は死んだ警察官であるAhmedだ。シャルリーは私の侵攻(※追記5:侵攻ではなく信仰です。失礼いたしました)と文化を嘲笑し、そして私(Ahmed)は彼のそれ(風刺)を行う権利を守るために死んだのだ。#JesuisAhmed」
これこそが表現の自由を守るために真に必要な標語である。一体全体どこの世界に表現の自由を守るという名目で私たちはKKKである、ネオナチである、在特会である、なんてことを言う人々がいるというのか。Je suis charlieはまさにそれを行ってしまった、最悪な標語でる。ヘイトスピーチを行う自由も、それもヨーロッパにおいて、表現の自由の一環として組み込んでしまっているのだ。卑劣意外の何物でもない。
ヘイトスピーチを行うという表現の自由ですら守ろうとし、そして死んだ人物(ここではAhmedという警察官)こそが、真に表現の自由を守るために働いた存在なのだ。
何度も言うが、私は今回のテロは一切是認できない。暴力によって物事を解決しようとする蛮行以外の何物でもないと考えてる。だが、だからといってシャルリーによるヘイトスピーチが免責されるわけでもない。そうしたヘイトスピーチを続けてきた団体の名称を冠して、表現の自由を守るということは、既に述べたように、表現の自由のabuseである。表現の自由を守るためにたたかった人物こそが、真に標語において活用されるべき存在なのだ。
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※追記4
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※追記5
トラバで行っているブコメへの返信の一部をこちらにも載せます。
id:cider_kondo 欧州極右の主張は「イスラムは非寛容で政教分離を認めない。西欧の価値の根源たる自由と寛容とは相容れぬ」ぐらい。セキュリティホールの一種で、イスラム側が世俗主義を導入しないと論理的解決はほぼ不可能。難しい
ブコメの字数制限があるため分かりかねるところがあるのですが、それはつまり「欧州極右の主張にも表れているように、イスラムに対して持っている問題意識はこれこれが最大にして唯一のものだが、これがセキュリティホールとなってしまっている。イスラム側がそうした問題点を解決しないと先には進めない」ということですか。つまり、イスラムの人々が社会的に疎外されてる云々というところに対する反応だということですね。しかしながら、日本における在日問題も見れば分かるように、二世、三世はほとんどその国の人間と文化的には同質です。そうした人間であっても、社会的に疎外されて、結局イスラム教にしかアイデンティティを見いだせなくなり、そしてイスラム教=私たちという図式になってしまうのです。イスラム教を否定されると、イスラム教しかすがるところがない人々にとっては、自身を否定されたも同然になります。
id:type-100 いや、正義の有無に関わらず与えられるところに、自由とか権利の価値はある。これが表現の自由に対する毀損と感じるのであれば、それはあなたが表現の自由よりも他の権利や価値観を優先しているだけの話だ。
与えられる、というか、侵害されないものとして、生まれつき保障されているというところに自由とか権利の価値があることは事実ですが、それを濫用することまでは種々の権利・自由は想定していないと考えています。つまり、他者の権利、即ち平穏無事に他者から毀損されることがないという権利を踏みにじってまで権利の濫用(ここではヘイトスピーチ)を行うことまでは許容されていないということは歴史が証明していることだと思います。なお、これは決して批判を行うことを否定している訳ではないことを付記しておきます。
id:Mochimasa 『「テロ行為の是非」と「シャルリーによる風刺の是非」は全くの別物である』 それなら"Je suis charlie”は前者の文脈でテロの被害者として掲げられているのだから、後者の文脈でこれを批判するのはフェアではないのでは
それならいいのですが、表現の自由の一環としても利用されている、つまり後者の文脈でも利用されているのが問題なのです。つまり、その二つは別物なのに、スローガンにおいては前者の中に後者の視点も入れてしまっているのです。
id:hate_flag 苦しい生活を送っている移民が宗教に依存しているのでその宗教を批判したらテロられた、というだけのハナシじゃん。悪いのはテロであって宗教批判ではないよね。
はい、完全にテロは悪い行為です。ですが、本件でJe suis charlieと掲げることはおかしな話なんです、というのが私の意図です。テロられたというだけの話ではありません。
id:sardine11 「あなたの言うことには何ひとつ賛成できないが、それを言う権利は死んでも守る」ことが言論の自由の意味であり近代社会の前提であるはず。たとえシャルリに嫌悪感を抱いても反テロ運動まで批判するのはどうなの?
反テロ運動を非難しているのではありません。反テロ運動の一環としての表現の自由の中にヘイトスピーチを行ってきた団体名が入っていることを問題視しているのです。
id:enemyoffreedom アレをヘイトスピーチとしてしまったらもう宗教の風刺・批判はできないような。不快で低質な表現こそを守れ、というのが表現の自由かな
宗教の風刺批判ではなく、その背後にいる、その宗教を唯一無二のアイデンティティとせざるを得ない、社会的に疎外された移民の人々に対するヘイトスピーチになっているということを増田では書きました。後者に関しては同意しますが、表現の自由は差別的・攻撃的・他者を毀損するまでの表現を認めていません。
id:shakespeareneverdidthis 例え在特会みたいな下衆であっても、報復として殺害されることがあってはならない。
それは全くもってその通りなのですが、表現の自由を守るという文脈も下地にあるスローガンに私は在特会である、というものを使うのはおかしいのではないのかという話です。
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もう読んでいる人がいるかどうかわからないですが、帰宅してさらに増えていたブコメや種々の反応を読んで、色々と思うところがあったので、もう返信はいたしません。本当は標語の下敷きとなったwe are all khaled saidも含めた補足記事を書こうと思っていましたが、こちらも止めました。
私自身の力不足を痛感しましたが、それ以上に、皆様の貴重な時間を浪費させてしまったことを本当に申し訳なく思います。ここで深くお詫び申し上げます。
昨日のやよい軒での話。
金曜なのに遅くなったので自分にご褒美で鍋を頼んで携帯弄りながら待ってたんだ。
そしたら店にいた初老らしき老人がいきなり「オーイ、オーイ」とか声を上げたわけ。
ちょうどマックの異物混入とかあったからかも知れないけど、若い女性店員が心配そうな顔してその爺の席に小走りに向っていったんだ。
そしたら、その爺さん「おかわりィ」って得意気に茶碗を店員に差し出しやがんの。知っての通りやよい軒ってお代わりはセルフサービスだから店員も困った顔をしたものの、いちおうマニュアル通りなのだと思うけど、そのジジイに自分でお願いしますと言ったんだ。
そしたらその爺さんがキレて「何を生意気な」とか「俺は790円も出してるんだ」とか言って騒ぎ出しやがんの。一週間の仕事を終えた俺も気持ちよく晩飯を頂きたかったのに気分を害されたので、そのジジイに冷たい視線を送ってやったよ。顔真っ赤にしてたね。それだけだと面白くないから、おなかはいっぱいだったけど、彼への充て付けのようにご飯のおかわりを黙々と自分の茶碗によそって自席に戻ってやったんだ。爺さん「なんだよぅ」とか「ちくしょう」とかブツブツ言いながら座ってた。だから自分で行けっての。
そんなことがあったので店内の雰囲気はあまりよくなかった。その後、店内にいた一組の親子連れが帰る時にその小学校低学年ぐらいの娘さんが「あのおじさんのお代わりよそってあげようか?」とか言って、親に怒られながら外に連れ出されてしまったんだ。さすがの爺さんもそれには参ってまた何かワケの分からんことを言い捨てて店を出て行ったよ。
取引先を潰す罠として使えるかどうかを検討していたのかもしれない。