その手の夢なら(まだ)いいんだけどさすがに寝てるうちに自殺しようとしてましたっていうのは
わかったからお前はまずちゃんと職について妻子を養えるくらいの稼ぎを持て
http://anond.hatelabo.jp/20141209214140
すまん、スキンシップを拒否したんだから捨てられて当たり前だという意見を見て、ちょっと疑問なんだけど。
スキンシップ=尻や胸を触ること なの?
あくまで尻や胸を触られるのが嫌だといっただけで、スキンシップ全部を拒絶したことになってしまうのかな。
思うに、従来、善意で機能してくれていたお見合い斡旋オバチャンってのは、
でたらめに紹介していた訳ではいないと思うんだ。
個人の特性を把握した上で、当時なら家柄や、教養などの無形文化資産などの保有ぐあいも含めて
バランスのとれた相手を紹介していたはず。
(でないと長続きしない実例をたくさん見てきているから)
21世紀の今、ネットでそれを体現しようとすると、SNSでは無理が出てくると思う。
SNSのまずい所は、世界規模で、巨大なド田舎を作り出している所にある。
失敗ができないからだ。
えっ、なにその設定…。別人がネタで書いてるの?
よくある。
そういうことがあると、はてなーは評価における属人性のウェイトはそこまで大きくないのかな、ある意味捨てたもんじゃないのかも、と思う。
俺の場合は良く考えてブコメしたときよりも半分脊髄反射で書いたような乱暴なブコメにスターがつきやすいから微妙な心境だけど。
http://anond.hatelabo.jp/20141209195923
男のほうも別個な存在だってことを忘れてるのが元増田なんだよね。
わざわざ自分が男に見切りをつけられるようなことをやってのけてる。
異性との出会いがどう、とかではなくて、
基本的なコミュ力が低いシャイな10代、20代をどうにかしないと少子化は止まらない。
一人でコンシューマゲームやアーケードゲームを嗜んでいた世代はシャイが顕著な傾向がある。(出典俺)
外でお友達と遊ぶことで相手がどう思うか、どう考えるか、人と五感を使ってコミュニケートしてこなかった場合、
人とどう会話して良いか分からない妄想癖のモンスターが出来上がる。
じゃあどう改善すればよいかと言うと、なるべく関係がフラットな、素人の異性や同性と今からでもたくさん喋ることだ。
お金が絡んではいけない。お金が絡むと関係が対等ではなくなるからな。
もう友達もいないとかって言うのであれば、コンビニの店員に会計後に「どうも」と言うことから始めて欲しい。
多少は自信がつくんじゃないだろうか。
まー安倍さんは色々物ともしなさそうな超人だからこういった庶民がシャイだとは分からないとは思うけれど、
結構根深い問題で、そもそもネットを繋げば「◯歳童貞の俺が××」のような2ちゃんまとめが散見されて
「自分はまだ大丈夫」だと錯覚し、更に拙い情報源から女のことを分かった風な量産型シャイ、
つまりキョロ充以下がたくさん出来上がってしまっている事については、何かしらの対策が必要なんじゃないだろうか。
小学校でスマホ禁止にするとかの、顔を見て話す機会を増やすといった対策が良いのではないかな。
そして今の若者は会社や大学で自由参加型のディスカッションの機会を増やすとか
ただ、無理矢理誰かとマッチアップさせれば良いとかっていう問題でもない。
http://anond.hatelabo.jp/20141209195923
相互理解には意思表示の他に、その理由も話さないと成り立たないが、元増田はそこから逃げて相手にすべて責任転嫁している。
この外道オンナが。恥を知れ。
はてブではブコメ書く派で、気になったものにブコメを残しているんだけど、やたらとスターが付く時と全然付かないときがある
特にスター狙いで書いてるわけではないけれど、波長が合わない時はちょっとリア充してたり、逆に仕事で忙殺されてたり、普段と少し精神状態が違うので、精神状態がブコメにも影響してるのかなあ
今朝から 100 over のエントリーすべてをツイートするようになってクソに成り下がってる
素直に 100 over のツイートしてるだけだと、普通の新着となんら変わりない、つまり存在価値なし
前は100overかつその日の新着だけだったよな
その場合はすごく勢いのあるコンテンツだけ見れるのに対し、今はコンテンツ力のない数日前のジワジワ伸びてきたノイズの方が多くて見るに耐えない
30過ぎた女にモテても、もっと若くて可愛い女にモテたかったという気持ちが消えない
自分も年を取ると、体力や精力もなくなり、仕事が忙しくて時間も持てず、物事に対して心の底から素直に喜んだり楽しんだりもできない
もっと自分が若かったころに、若くて可愛い彼女がいてくれれば、楽しい思い出をたくさん作れたのに
誰も側にいないよりはマシだろうけど、どこかもの悲しい
洋楽厨の選民思想を煽り、J-POPerな僕がより惨めになるかもしれんが書いていく。
頭の良い悪いに関係なく、洋楽を聞いてる人は全体的にセンスが良いと思います。
正しくは「音楽的なセンスが良い」とも言いますが、とにかく小さい頃にピアノを習っていたり、
学生時代にバンドを趣味でやっていましたとかそういった人達です。
僕がそういうのを自覚したのは20代前半で、友人と遊んでいる時に
「何となく話している言葉が的確で面白い」「何気なく選んだ服のセンスが良い」
洋楽を聞いている友人は特にそれらに興味を持つわけでもないのですが、
安くても何となくセンスの良い服を着ていて、話も面白くて、メールする時もスッキリしていて読み易いです。
一方でいくら僕が好きなモノを磨いていても、出来上がった完成品(服、文、話した言葉)を思い出すとどこか違和感があります。
バトオペという操作者の腕が大きく問われるオンラインゲームをしていますが、音楽のセンスが良い人はやはり圧倒的に上手いです。
僕はいまちょっとしたクリエイティブ職に就こうと転職活動中ですが、そういった人達とやっていけるのか、あるいは勝てるのかとても不安です。
音楽的センスを磨くために、キーボード買おうとしているぐらいです。それでもまだ不安なのでレトリック覚えようとしています。
結論ですが、それが良い人は、空気を読むのがうまいのではないでしょうか。
そういった方たちは会話中に音の「澱み」を聞き取り、的確にそれを「浄化」する音を返す事が出来るのではないでしょうか。
意味が分かりませんね。僕も何言ってるか分かりません。
要は人が心地の良い音を聞き取ったり、発したりすることが自然と出来ているという事でありまして、
小さな頃から人の立場に立って考えたりすることが出来ていたのではないでしょうか。
後は服のセンスの話ですが、これは分かりません。「人が気分の良い服を着ることが出来るから?」うーん違う気がします。
誰か答えを知っている人は教えてください。