両親は、よく喧嘩していた。離婚すると大声で言い、子供なんてお前が世話しろよと双方が言い合っていた。その場に、幼い私たち兄妹がいた。何度もあった。
母親は一回家を出た。その時、私たちは置いていくと宣告された。やっぱいらないんだなと思った。でもそう信じたくなかった。離婚しないでくれ、行くなら連れて行ってくれと懇願した。無理矢理車に乗り込んだ。ガソリンスタンドに入ったとき車で泣いていたら、恥ずかしいから泣くなと言われた。我慢して涙を堪えた。
よく、子供が可愛くない親なんていない、と言う。子供の時、それを聞くたびに恥ずかしかった。両親は私のことを可愛いなんて思ってない。私は惨めな存在だと思った。それは、ずっと続いた。もう自分が子供を持ってもいい年齢にとっくに達し、やや過ぎてしまった今も、自信を持って「私のこと可愛かったんだろな」とは思えない。
自習室に行って適当な席に座った。隣ではすでに女の子が勉強していた。見覚えのある顔だった。現代文を教えた子だ。昨日何となく同じ部活のTのクラスへ行ったらTは現代文を勉強していた。その隣で一緒に勉強していたあの子だ。自分で言うのもおかしいけど僕は現代文が出来る方だ。だからTとその子に現代文を教えた。教科書の設問を少し説明しただけだけど。
あの子だと分かったからといって何かあるわけでもなく、僕は普通に勉強をはじめた。しばらくして、壁にかかっている時計を見て次は物理やろうかなとか考え始めたとき、隣のあの子が鼻をすすっていることに気が付いた。僕も鼻の調子が悪かったのでその時は箱ティッシュを持っていた。僕はティッシュを分けた方がいいんじゃないかと思った。でも、相手があまり知らない女の子だということに気づいた。不審に思われたらどうしようと思った。急に恥ずかしくなった。僕が悩んでいるとあの子は席を立って自習室を出た。机はそのままだからトイレに行ったのだろう。僕は少しほっとした。そして思いっきり鼻をかんだ。
しばらくしてあの子が戻ってきた。僕はまた悩んだ。あの子は戻ってくるとすぐ机に突っ伏して、仮眠を取ろうとしはじめた。顔を下に向けたからか鼻をすする頻度が増えた。僕は話しかけようにも話しかけられない、と思った。僕が勉強しているふりをしながらそわそわしていると、あの子は本当に寝たらしく、鼻をすする音が聞こえなくなった。僕はとりあえず時計を見た。予定が入っていたので、自習室をでるまであと1時間ほどだった。話しかけづらいからといってティッシュを渡さないというのも薄情な気がした。箱の中にこんなにティッシュが残っているのに。僕は帰るときにティッシュを置いていけばいいのではないかと思った。あの子はこのまま寝ているだろうから帰る直前に置いていけばリスクなくティッシュを渡せると思った。こういう置き土産ってなんだか少しかっこいい気がした。今考えればリスクのない行為のどこがかっこいいのかと思うけど。
それからはしばらくは普通に勉強した。しかし、30分くらいしてあの子が起きた。しばらくするとまた鼻をすすりながらシャーペンを走らせ始めた。起きてしまった。僕にだけはとても不都合な状況になった。少し迷ったけれど、僕は考えるのをやめてとりあえずあの子の肩を人差し指で軽くたたいた。あの子が振り向いた。どうしよう。どうしようもなかった。僕は箱ティッシュを手に取って、「使う?」と小声で尋ねた。すると、小声で、ポケットティッシュを持っている、そしてここで鼻をかむと迷惑だから部屋の外でしているという旨を伝えてくれた。細かくなんて言っていたかはもう覚えていない。
あの子は持っていた。ちゃんと持っていたのだ。それにうるさくしないようにちゃんと外にでて用を足していたのだ。その時僕がほっとして別の用を足してるのだろうとか考えていたのがバカみたいだ。周りに気をつかって外に出て鼻をかんでいたあの子に比べて、平気の平左で自習室の中で鼻をブーブーかんでいた僕はなんてバカなんだろう。
「あっ、えっと、そう、」と僕がふにゃりふにゃりと答えると、「ありがと」と言ってあの子はすぐ勉強に戻った。お礼を言われるようなことはしてないのに。僕は帰りたくなった。こんなに醜態をさらしたあとに集中して勉強できる気がしなかった。今すぐ帰りたかったけどすぐ帰ると不審に思われそうだから、10分ほど勉強するふりをして自習室を出た。箱ティッシュは自分のロッカーにしまった。しばらくなくなりそうにない。
http://todo-ran.com/t/kiji/13480
http://todo-ran.com/t/kiji/13485
全国のうどん屋店舗数は24,030軒で人口10万人あたりうどん屋店舗数は18.88軒。うどん屋店舗数はそば屋店舗数の24,924軒とほぼ同数だ。
店舗数がほぼ同じだし、互角と言ってもよいのではないでしょうか。
ちなみにラーメン。
http://todo-ran.com/t/kiji/11806
http://anond.hatelabo.jp/20141204170356
増田トラックバックをやるのは初めてなのでちゃんと出来てるかどうか……というのはさておき。
件の増田を読んでびっくりしてしまった。ぼくもムービーパラダイスで同人誌を少し買ったことがあって、件の同人誌シリーズも入手し、その自由闊達な内容をとても楽しませてもらっていたからだ。
トピ主の愛憎がいかばかりのものか、どれほどの苦しみが生まれていたのか。それらについてはたかが一読者として類推することもできないしすべきでない。ただサークル参加者諸氏の安寧を——生還者がいらっしゃるならその平穏を——祈るのみだ。
ただ、元ネタ作品の装備類や作中内世界の情勢を推察したコーナーの素晴らしさも、ヨーヨーや異常発達筋肉人の狂気も、登場人物たちの過去やサイドストーリーを描いた文字通りの二次創作も……等しく見事だった、というのは主張させていただきたい。
そしてまた評論系の寄稿も、実は一巻目だけでなく他巻にもあったことを報告しておきたい。絶無ではなかったのだ。特に同人誌シリーズ三巻目に収録されていたある評論は、たいへん綿密な考察と作品愛に溢れた逸品だった。
の、だが。
実はこの評論、かの元ネタ作品ではなく、同じ監督が撮った別の作品「マシンスパイ・ゼロクロー」※1の評論なのである……!!
こんなクソリプめいたトラバを書く理由がこれである。トピ主にとってこのマシンスパイ・ゼロクロー評論はどのような評価(憎悪)の対象だったのか皆目見当が付かない。「評論は0、じゃねーじゃん」などと揚げ足を取りたいのではなく(取ってる場合じゃねぇだろこれ)、二次創作でさえないなにかに対してトピ主はどう反応したのか。
論外。それはわかる。論外にどう反応したのかが知りたいと書いている。頭割るとかページを口に突っ込むとかでは済まなかったのではないか。ビーム、バリアーなどの光線系攻撃まで持ち出したのではないか。陽電子を使った可能性さえ感じる。
言っておくが、これは荒らしトラバなどではなく(いや結果として荒らしになっていそうなのは謝罪するが)、現実に当該同人誌に他作品の評論が載っかっていたのだ。クロスオーバーでさえない。懇切丁寧な(他作品の)評論※2が、ぽん、と載っている。この現実にぼくの正気度は著しく削がれた。もともと寄稿作品全般とも気が狂ってるか気が狂うほど素晴らしいかのどちらかだったにせよ、何かがおかしい。
否、おかしいのはぼくの方か。
もとよりある作品の同人作品を作る、というのは一種の狂気だ。正気にては大業ならずとシグルイにも書いてある。それとも狂気を誘発できる力を持った作品が同人を呼ぶのか。
そしてたまに、他者の狂気と自分の狂気が噛み合わない、というような悲劇も起きるだろう。そこで相互理解せよとか平和が一番などとのたまうのは、恐らく当事者ではない側の傲慢になってしまう。
だから「奴らにとっては、俺こそが怪物だったのだ」というが、恐らく、界隈には怪物でない人などいなかったのだと想像する。
ただ、どの怪物もぼくにとっては最高の傑物だった。
そのような方々が去っていったことを悲しむのみである。仲間割れイクナイ、などとは言えまい。ただただ悲しむのみ。
※1
次元を越えて善と悪のスパイ達が対決するという内容の痛快娯楽作。「スパイにとってごく平凡な武装であるビームライフルをリフレクタービットと組み合わせて強攻撃にする」「三次元の女性を恐れて二次元の世界に逃げ込んだ気弱な敵幹部を次元の果てまで追い詰める卑怯なクルーズミサイルで殺害する」「対人対拠点特化型メカゴ○ラ」「ショタが可愛い」などの奇想が話題を呼んだ。かの監督はこの作品の続編も撮りたいと意欲を見せているが、別の新作「ティアーズ・オブ・ザ・ムーン」「修学旅行血風録」などの撮影に忙殺され叶っていない。
※2
ちなみに内容は、痛快娯楽作と目される同作が、それだけでなくより綿密な考証に支えられたSFであったと評するものであった。特にスパイ達を毛嫌いしていた外交官の娘の正体について、それは序盤から伏線が張られていたのだという指摘部分は、かなり強固なエビデンスも揃えられていて瞠目に値する。
※3
私にもかつて、のびのびと生きていたと実感できる瞬間があった。
思い返すとそれは、好きだ好きだといわれ、まるで子供のように甘えることができた時だった。
本来の私、って今も私は私だから変なんだが、安心してそういう風にいられる気がした。
10代の時は、自然に甘えられたが、20代になると、そういう環境に置かれるのが苦痛になった。苦痛てか、気持ちが悪かった。こそばゆさをこじらせたような感覚というか。
お兄ちゃんになった程度で妹が可愛くなったり兄好きになると思うなよ(T . T)
そうだね。アカン、もうだめだよ。
ブログなんてやめちゃいなよ。
自分が積み上げたものに価値がないなんて認めたくないだろうけど、
まだ20代だろ?今から別のことやるにしても決して遅くないよ?
君は「アンチ」って言ってたけどね。
だから、な?
20代の時は、もっといろいろ考えて生きてたと思う
勉強もやってたし、キャリアとか考えたり、一生懸命だったのに、
30になってから何かが振り切れて、今は行き当たりばったり生きたいように生きてる
もう何も考えてない
結果とかどうでもいい
「え?マイルドヤンキーって「東京で消耗してる自称エリートの言い訳と嫉妬」のことでしょ?(11/30)」
http://tm2501.hatenablog.com/entry/2014/11/30/235351
を書き、その後
id:dobonkaiが「マイルドヤンキーという言葉に感じる不快感(12/3)」
http://dobonkai.hatenablog.com/entry/Mild-Yankee
を書いた。
他人にされて嬉しいことをしなさいとか、されて嫌なことはやめましょうとか学校や家庭で一度は言われたことがあると思う。
ただ、問題は自分がして欲しいことと他人がして欲しいことが必ずしも一致しないということ。
人によっては罵倒されたり、叩かれたりと虐げられることが好きだし、
そういう相手のニーズに応えようと思っていろいろベッドの上で試行錯誤する訳だけどこれが中々に大変。
慣れない甘い言葉を囁いたり、力強く相手を求めたりと本来の自分とは少し違うキャラクターを演じる必要があったりする。
(演じるというと不誠実にも思えるかもしれないけど、これはベッドの上という特殊な空間であることを踏まえて考えて欲しい)
さらに問題なのは、相手はこちらがそうしたいからそうしていると勘違いしていること。
つまり、相手の中ではこちらはしたいことをしていて、自分はして欲しいことをされている、
勿論、相手が喜んでくれるのは嬉しい訳だけど、たまにでいいから、ちゃんとギブアンドテイクで
こちらがして欲しいことをひたすらされたいとも思う。
とはいえ、自分が相手の立場だったら、たまにはテイクだけくださいなんて言われたくないから伝えるべきではないとも思う。
どうしたものか。
https://twitter.com/natsu_hiko
http://pas-nanpa.tumblr.com/post/59571767764